作曲に必要なのは何か?
ダサい曲を聴かせるのが恥ずかしい
作曲に必要なのは、それらを差し置いてでも
「表現したいという気持ち」
そう、本当に必要なのは良い機材でも、良い音源でもない。
【機材を買い替えるタイミング】 買って売ってを繰り返す人は危険信号かも
そして、それは人の心理に基づいた普遍的で難しいことなんですね。
目次
作曲に必要なツールは最初から揃ってる
今時
普通にDAWソフトを買えば最初から良い音源がたくさん入ってます。
カスタマイズ前提な状態になってる音、有料に比べたら劣る音ももちろん多いけど、自分でエフェクト追加したりするだけでも十分な音になります。
少なくとも、
「音がダメだから曲作れない」
って言う次元はまずない。
それは音源じゃなく、自分の腕が悪い。
それをカバーするためにより良い音源を買うのはいいけど、ぶっちゃけそれは根本的な解決にはなっていない。
実は、DTMをやっていると後からそう言うことに気がつくことが本当に多い。
例えば、
私がLogicを買った時エフェクター何それおいしいの?って言う次元だったので、リバーブがないオーケストラのLogic付属音源を弾いた時、
「なんだこれは、おもちゃ?」
そんなこと言ってました。
後からリバーブと言うものを知って、そのエフェクターを足したら化けたんです。専用音源に比べたら負けますけど、別に普通のBGM作るくらいなら十分。
まずエフェクターがどこにあるのか、そしてどう指すのか、も分かってないんですね。
バンドで使うキーボードを弾くのが当たり前になってたので、リバーブなんて最初から設定されていて、選んで弾くだけで迫力がある音が出てました。
だってリバーブ、ってノブがありますから
つまり
「自分で音創りしてないから、こう言うことになる」んですね。
こんなことさえ知らなければ、ああ音がしょぼいもっと良い音源買わないとダメだ、と言う流れになります。もったいない。
あの音源さえ買えば。。。
あの高くて音の良い楽器さえ買えば曲のクオリティが上がる
それによってモチベーションも上がる(と良いな)
そう思ってしまう。
でも、それって
そういう価値観を追いかけてる時点で結局色々と見失ってるんです。
曲つくりが当たり前になって、
その上で自分に必要な音を買おうか悩んでいるならいいのですが、技術的な面で自分の力が足りてない時は要注意
永遠と機材や音源に頼る思考になってしまう。
もちろんモチベーションをあげると言う意味では効果はあると思います。
ただ、むやみに繰り返すと音源を買って音鳴らして満足
結局曲は作れない、大してクオリティは変わらず
まだ自分で気づけない。。。
音源なんて、今の自分のレベルではあんまり関係ないってことに
作曲は「工夫と発見」
自分で今ある機材を最大限に工夫する
作曲は常にその発想、考え方が求められると思ってます。
それがないと、
そこに自分のアイデンティティはないので、常に新しい機材、今自分の手元にない何か、に頼る癖から解放されません
(もちろん、PCの動作スペック的な問題のストレスは別なので、それは改善できるなら改善した方が良いと思います)
特にシンセなど、一から音を選んでリバーブとかディレイを足してみるだけでも感動したりする。
端から見たらどこにでもあるような音なんだけど、自分で弄って発見した、なんか作れちゃった、みたいな「過程」が関連しているから満足度が高い。
私は、それが結局一番大事だと思ってます。
もちろん最初は何も分からないので、プリセット音源を鳴らして弾くだけで満足していましたが、探しているだけだと段々とその作業にも麻痺してきます。
どれもこれも良い音ないなぁ〜飛ばし飛ばし・・・ふぅ・・飽きた
なんだか、この音、ここ少し調整すれば使えそうだな
そんな発想にならないんですね。
スーパーで野菜買うのは簡単だけど、
一から自分で育てたら楽しいしワクワクするのと一緒。そして、いちからつくる難しさが分かり、それによってただ選んだり買うだけよりも色々と分かる本質に気づく。
それが、いわゆる「工夫」と「発見」であり、今ある材料で考える、と言う発想。
一度それを掴むと、途端に楽しくなる。制限が楽しくなる。
「そう言う楽しさ」
これをまず見つけないと、どれを買えばあんな曲が作れるんだろう、と言う発想しかできなくなり、そう言う行動ばかりしてしまい、肝心の曲つくりをしなくなる。
最後に
作曲を続けていれば、やがて音創りは時間の無駄だから使えるプリセットをストックして作曲自体に専念する、と考えるひともいます。
それは人によって状況は違うので、最終的には音創りにこだわるのも良し、作曲自体にこだわるのもよしだと思います。
作曲は一言で言えば「工夫と発見」
どれだけ自分のアイデアを出して詰め込んだか、ってだけの話。
それは何も、音楽的なものに限定する話でもありません。
録音方法や、機材制限、イメージ制限など、物理的なものから精神的なものまで自分で自分のやり方を選択していく、それらの工夫が最終的に個性になっていくのではないかと思います。