作曲に理論は必要か、と言う問題があります。
まぁ普通に考えて必要に決まってるんですが、一口に理論、と言ってもそのイメージは人によって様々だと思います。
私からすると
理論は音楽を説明する時 (コミュニケーション時) に必要なだけ。
細かい理論はぶっちゃけどうでもよくて、ほとんど感覚で作曲してます。
と言うのも、何で判断してるかといえば
気持ちいい展開か、カッコいいかどうか、雰囲気を出せているか
そんな自分のイメージに近付いているかどうかです。
目次
理論とは何か?
それは音楽を作る上での、演奏する上でのルールや決まりごとだったりします。
理論は昔からあるもので重要だし、それを習得することで未然に防げたり、自分の創りたいものに早く近づけることが可能になります。
ただ私の経験上、それは実践ありきの話、であると思ってます。
やはり自分で作ってみて納得しないと、理論は「実感」が出来ませんし、それまではただの堅苦しいお勉強です。
下手すると音楽を作る上で必要以上に縛られてしまい、邪魔なものになりかねないのです。
理論ばかりに囚われる、というのは早い話、一種の呪縛です。
「おそらく、こうするのが理論的に考えて正解だろう」
常にそうやって判断したりしてるんだと思います。
好きに作ればいいんです。
音楽の三大要素
メロディ、ハーモニー、リズム
これは一番音楽理論っぽいイメージが伴う要素ですが、音階とか、和声って言葉を聞くと少し敷居が高いように感じます。
それに対し
音の三大要素
音の高さ、音の大きさ、音色
表現力に影響する要素。
これらは今の時代で言えば、DTMで言う機能的な部分 (MIDI) になってきます。
前者は基盤
後者は表現方法
基盤は重要で、ベタ打ち (音符だけ抑揚をつけず打ち込む) するだけでもどんな曲かは伝わります。
ただし基盤には表現力が伴わないと、感動に至りません。基盤の素晴らしさを伝え切るには、どんな表現を目指すのか、が重要になります。
理論と実践の綱引き
理論は知っててもあまり曲つくりに大して反映できてない人は大勢います
理論は知ってても使いこなせなければ意味がありません。
すなわち、、、視点を変えれば、使いこなせないということは、結局は分かっていないのと同じことなのかもしれません。
理論って言うのはお勉強すれば誰にでも覚えられることだとは思います。
でも、結局は良い曲をかけなければ理論なんか知ってても意味ないんです。
これぞまさに、知っていると、出来るは違う、ってやつ。
誰かが聞いて良いと思える曲を作れる方が強い、そこで理論が間違っていようがどうでも良いことです。ちっちゃい話。
聴いて気持ちいいか、気持ち悪いか
カッコいいかカッコ悪いか
それだけ
どれだけ自分が今まで聞いてきた音楽を総動員させて、近づけれるか。
繰り返し、
理論は実践の先にあるものだと。
感覚である程度作れるようになってきた段階で、さらに音楽的に操りたい、そう思った時に、今自分が欲しい理論を、自ら学べば良いし、知識と実践は常にバランスが必要です。
知識だけでは頭でっかち
実践だけでは無謀すぎていずれ限界はくる
互いの要素がそれぞれの限界を迎えた時、ようやく自ら学ぼうとすれば、それぞれの限界を少しずつ壊し、新たな道を切り開けるのではないでしょうか?
最後に
自分で工夫しただけ、自分の引き出しになっていく
自分独自の工夫=自分だけの作曲方法=自分理論(自分の考え方)=個性
自分の経験から得られるアイデアや工夫が大事。
それがあなたの考える音楽であり、それが誰にもない個性となります。
自分で考えたことや工夫したことは、自分の個性です。
一般的な理論は人と音楽話を共有する時に使う。
自分だけの理論は自分で見つけたものだから、それは別で大事にしたいものです。