今日の切り口は
「コピーは得意なのにオリジナル曲が出来ない」
私はキーボーディストとして活動していた時、主にコピーばかりしていた時期がありました。
基本的にみんなが知っているような定番曲などを弾いてましたが、演奏依頼の仕事だとコピーやカバーを求められるので、自然とコピーばかりすることが多くなります。
そうしていくうちに、コピーする曲のクオリティや再現性が自分の力、だと錯覚してました。
もちろん、セッションプレイヤー、スタジオ系のミュージシャンは人の曲を形にする、という仕事なので、錯覚、というのは語弊があるかもしれませんが…。
要は、演奏に価値を見出す人ほど、テクニックやクオリティに厳しい目を持っているので、自分のクソダサいオリジナル曲を作った時に絶望する可能性が高いのです。
その結果、俺はオリジナルは作れない、となる (あれ、もう言いたいこと終わっちゃった?)
目次
コピーは自分の力で再現したと錯覚する
DTMに手をつけた時も、やはり最初は耳コピーから始めて既存曲の再現をしてました。
最初は満足でしたね。
もともと生演奏でコピーしてましたから、同じことをして全パートの音フレーズをとって、音色を選んで打ち込みしていくだけです。
再現していくと楽しくて、最初は自分でもすげーな、って思うんですが、、、良く考えたらそれ自分の曲じゃないし自分で考えて作ったものじゃない。
しばらくすると、これ耳コピー出来ればただ採譜しているだけだ・・・って。
確かに耳コピーすること自体は努力だとは思いますが、、模写ばかりして自分の作品を作らないのに似てます。
コピーは音楽をやってない人に聴かせると、驚くしウケがいいのです。
それは生演奏も一緒。
まるで「俺が作った(再現した)んだぞすげーだろ」みたいな勘違い野郎になってしまうんですね、あまりにみんな褒めるからさ (その曲を)
もちろんコピーするからには、その曲は名曲だろうし、誰もが知っている曲でしょう。
よほどかけ離れたクオリティでなければ「すげー」「再現してる」
このような賞賛を浴びることも少なくない (繰り返す、音楽やってない人から)
そんな、「デヘデヘ」井の中の〜みたいな状態。
そんなある日
「〜さんはオリジナルは作らないんですか?」こんな声が
そこで意を決して
「よし、俺もそろそろ自分の曲を作ってみるか」
これだけ色々な曲をコピーしたんだから、さぞやそれに近いような曲ができるだろうな (わくわく)
そう思い、オリジナル曲を作るが・・・
・・・え・・・な、なんだこれ・・・クっソダセェ汗
・・・いや、待て、もう一回作ってみる・・・
ダメだやっぱダセェ!!(夢じゃねぇ)
出来ないんじゃなくて、納得出来ないだけ
オリジナルの作曲は俺には出来ませんでした。。
コピーしてた時は音やフレーズをそのままコピーしてたから気付かなかったけど、ドラムもなんかまともに打ち込めないやんけ。どーゆーーこっちゃおい!!
コピーは出来てた、コードも知ってる、普通に弾けるし出来ないってことはない、それはただの言い訳で・・・
正確には少し作ってみただけで、クソダサい! やめよう!ってなっただけの話であって・・・
そ、そうだ!
作れないんじゃなくて、一応形にはなってるけど、酷いからまだ聴かせれません!!ってことやな?
ブログ始めて最初の記事酷くて速攻消してなかったことにするような感じです。
人に聴かせれないレベル=出来てない (とする)
えーと、完成まであと何ヶ月かかりますかね・・・汗
表現よりも技術ありきな狭い視点
ある私の友人は、高校でギターと歌を同時に始めたため、コードを弾くくらいの演奏能力しかありませんでしたが、作詞と作曲の才能がありました。
歌もギターもやり始めたばかりでしたが、今作ってる曲を表現するために必要な分だけの表現力、技術を身につけて行くような感じです。
そう、「先に表現したいものがある状態」の人
それでも・・・最初はイマイチでダサかった。
C、F、Gの3コードで、自分の言いたい歌詞をひたすら歌う感じ。
もうわけわかんね〜覚えられねー
でも本人は全くダサいと思ってない。
だから表現していた、周りに聞かせていた。
誇りと自信を持って。
まぁ何を隠そう、先日ブログに書いた一緒にゲーム作ってる友人のことです。
たまにこの昔話をしたりして、
「お前は本当に俺が初期に作った曲バカにしとったなー自分全く作れんかったくせにw」
「まぁまぁ、しゃーないやろ、そんな時代もあるわw」
「大事なのは表現したい内容 (本質) だろ」
「そうそう、俺も曲作るようになってよーやくわかったわそれ」
表現欲求の大きさ
恥ずかしい話、当時の私は彼の「表現したい」という本質を見ずに、単純にクオリティだけでその曲を評価していました。
そんな状態ですから、自信が持てない曲を聴かせるくらいなら、自分はオリジナルなんて興味がない、作れない、ってことにしたほうがいい。
自分のことを棚に上げて、既存曲のコピーやカバーに逃げる。
誤解なきよう、自分の大好きなバンドや曲が純粋に好きでコピーやカバーをしてるのは素晴らしいこと。
それは別に逃げでもなんでもないんですが、私の場合はオリジナルを避ける口実になりつつありました。
分かりますかね・・・この違い。
友人-技術よりも表現が先
私-表現よりも技術が先
作った曲がイマイチでも誰かに聴いてもらいたい、表現したい、って言うのは
聴かせたいと言う思いが技術よりも勝ってない、と実現しないのです。
ダサいのしか作れないなぁ、恥かくからそこまでして作りたいとは思わないしオリジナルはまぁいいや、と思えば、残念ながら自分の欲求はその程度と言うことです。
そして当時の私は「後者」でした。
これは結局、
表現欲求がどれだけあるのか、ってことなんですね。
聴いてもらいたいのか、ただ自分が納得するものを創りたいだけなのか
やはり、自分が納得することと、聴く人が納得することとはまた別の話で、別の価値観だと思うんです。
言ってしまえば、自分が納得したいだけなら人に聴かせる必要もないわけです。
自己満足でよければそれでも良いのですが、やっぱり一生懸命作るからには、色々な人に聴いてもらいたいのが常です。
自分が納得してるなら相手も納得してくれるだろう、なんてうまい話はなく、自分が良いと思っても、人が聴いてイマイチと思うことなんてザラです。
(むしろ逆のパターンの方が多いような・・・)
最初はそこ気にしてもキリがないんですね。
気にしすぎるとクオリティに固執しすぎて、オリジナル曲を作ることが一気に敷居が高くなってしまうのです。
ただ単に傷つきたくないだけ
自分が納得するまで一人でクオリティにこだわり続けて、いつまでも人に聴かせられない人は多いと思います。私もそうだった。
しかし、後から見れば、そんなんよりも、人に聴かせる「勇気」を持つことの方が何倍も大事だとわかったんです。
誰かに聴かせなきゃ何も始まんねーんだから!!
念のため言っとくが、オカーちゃんに聴かせて「すごいね、あんた」はナシ。
私は曲を人に聴いてもらって、それが良いと言って貰えなければ自分が傷つく・・・それがいやだ・・・そんな思いが前提にあったのです。。
だから当時は、そこまでして表現したいわけじゃないんだな、そう無意識に気づいてたのかもしれません。
表現することよりも、傷つくこと、笑われることを恐れていた
傷つきたくない奴は創作やオリジナル作ることがどーゆーことかもう一回考えるんや、クソダサい曲を作る自分を認めてからが本当の戦いやぞ!!
創作する人なら誰でも通る道
漫画、小説、イラスト、ゲーム、ブログ…
私は最初から、一歩先にある欲に目が眩んでいました。
表現した先に、認められたい、良い、と言ってもらいたい気持ち
やはり、反応があるまで続けるしかないんですね。
ぶっちゃけ続ける方が大変だから、最初の一歩でうじうじしてたら先が思いやられます。
技術あるがゆえの葛藤
コピーができる人は演奏に必要な技術、音を採る力がある程度あることが想定されます。
したがって、
「できるだろう、おそらく」と言った感じで、スタートラインが高い状態であることが多く、それゆえにクオリティに敏感で、羞恥心もより一層強く、自分の作った曲を低く評価して聴かせる前にボツにする=作れない、と言う風に片付けてしまう気がします。
オリジナルを作る上で大事なことは、
技術よりも「自分の曲を表現したいんだ!」
という「己の純粋な表現欲求を認識すること」だと思います。
そして繰り返し
一番大事なことは「続けること」です。
最後に
今回は記事の切り口上、少しコピーに対して尖った書き方をしてしまいましたが、
コピーが出来ること、採譜する力、再現する能力や近づけようとする努力は結局はオリジナル曲を作る時にも大いに生きてくる要素だと思ってます。
また、自分のオリジナルが作れるようになってからも、コピーやカバーを改めてすることは色々な面で自分の成長を確認出来るかもしれません。
しかしながら、一長一短と言う言葉があるように、それゆえにその能力が最初は足枷になっていることも多いと思います。
一度純粋に自分と向き合って、思ったよりも良い曲が作れないと葛藤していたら、技術云々を置いといて、羞恥心を捨ててみるのも手です。
もしかしたら、作れない、と自分だけが思ってるだけで、別に普通に作れているのかもしれませんよ。