ゲーム音楽の巣

フリー音楽素材サイト「音の園」の管理者及び作曲者。このブログではキーボーディスト、ゲームミュージックの作曲を中心に音楽雑記を書いています。健康第一。

ゲーム音楽を作ってるのに、ゲームをなかなかやれない

ドアホ、ゲーム音楽作ってるなら意地でもゲームやれ!!

  

今日はゲームの話を少し...

  

いそいそと作曲ばかりしていると、ゲームをやらなくなってしまうことが多く、買っても山積みになって行き、

買う→前半少しやる→放置→二週間後に再開→あんま覚えてない

 

という感じで、やらなくなる。

というか、「どうせクリアできないだろうな今回も。。。」

 

恐ろしいことに、こう言った考えになっている自分がいる。

そう、クリアする気がなくなっている。

素養のためにただやってるだけ。

 

 

ゲーム音楽が好きなのに、ゲームをやる時間や集中力が残されていない。

もしくは昔のゲームばかりやってしまう。

 

なぜそうなった...

昔のゲームばかりやる理由

そう、それも大してクリアするのも大変だったりもするのだが・・・

 

リマスター、移植が出ると、懐かしさのあまり子供の頃にやったタイトルに飛びついてしまう。値段的にもまぁまぁな金額で、一度プレイしてるにもかかわらず買ってしまうのだから、結構なことだよね。

 

なんでそうなるかって?

 

「できれば、あまり脳を使いたくない」(たぶん)

 

あとは「安心したい、懐かしみたい」からかなぁ...(一度やってるからハズレがない)

 

おまえな、それ完全に「お爺ちゃん!!」

 (ライアン殿、老いぼれ置いて先に行ってくだされ..)

 

そう、もうあの頃じゃないんだよ...

ゲームに対する目線

そんな時間に追われる日々の中、ゲーム音楽を作っているのにゲームやれないのは致命傷だぞ、と。

 

先日も「24時間をどう使うか」が運命の分かれ目みたいなこと書いたけど、これ本当にそうで・・・

 

明らかに

なんか時間の流れちゃうわ!!(汗)

 

そう、時間に対する感覚というかね。。。

 

タスクに対して、未来に対して、を意識するあまり、本当の意味で何も考えずにゲームに没頭できてない。

なんか差し迫る締め切りが怖い。

 

それもあるけど、

なんか一番はね・・・「集中力の意識」が足りてないんかなと。

 

要は、「時間こんなけしかないからさっさとやれボケナス!!」

っていう感じがね...戦いだからねマジで

 

スマホ見てる時間あればやれるでしょ、って。

 

これさ、テレビと一緒やん(テレビ見ないけど、まぁYoutubeも同じ)

ダラーって見るだけのが楽だからね・・・

 

...ん、そんな話はありきたりだと!?

 

わかった、じゃあ別の切り口で

経験による弊害

これなんすよ、ぶっちゃけ。

 

RPG好きなんだけど、それと同時にアドベンチャーも好きで・・・

神宮寺三郎とか、EVEシリーズみたいなね。

 

RPGの戦闘が、ただの作業に思えてくる瞬間というのが多々ある。

ドラクエウォークやってる時もそうだが、最初は楽しい。

本当にレベル上げしている感じだから。

 

ただまぁ上級職やら他の基本職やらみたいなね。。。

もうとにかくその辺になるとドラクエ7を思い出すんですわ。

「おい、こんなん時間ねーわ!!」

 

でもさ、、多分俺たち世代向けのゲームなハズでもあるけど、今の青春時代の子達だと時間はあるわけだ。

かつて俺がFF4やらFF10やらを極めたりしてたあの時代のように。。

ゲームの見方が変わってしまった 

まぁそれはさておき、

自分の範囲で色々なゲームをプレイしてくると、ゲームもパターンがあるので似たような感じになってくる。

「パーツ、要素の構成、掛け合わせ」

こんな見方になってきてしまう。

イラストが違うだけで構成要素はあのゲームと同じ、、とか。

 

見え方が変わって来てしまうことで、ゲームへの見方も結構変わるというか・・・

そうなると、やっぱり自分一人だけでゲームをして感動する、ということもなくなって来たりもするし、似たようなストーリーを経験して感動も特になく...とか。

 

ガキンチョの時はさ、そんなん気にもとめず、ただ目の前にある限られたコンテンツを大事にしてたんだ。だってこれしかないし、これしかおとーちゃんおかーちゃん買ってくれないし、買ってくれたんだしやらなきゃ、ね。

まぁ、早い話、何もかもが新鮮、なんだ。

...いいな、あの時代。

 

で、それが今や

「そうそう、こういうので良いんだよ、これで良いの」

というサザエさん的な安定感を求めているのだ・・・

 

ちょっと俺の好きな話をするが、

神宮寺三郎の最新作、プリズンオブアイズは過去作のリメイクやらで抜群の安定感ある内容なのだが

まさに

「そう!!! これで良いのよ!! これ定期的に作って!!」

 

まぁなんだ、そういう感じで、手軽にできる70%の楽しさというか、そういうのを求めてしまっているんだ。

 

基本、神宮寺が好きな人はみんなこれに近いと思ってる。

洋子さんの顔が毎回変わる、というスパイスを残しているからそこもランダムで楽しめるというかね・・・どの洋子さんがかわいいかなーってさ。

 

...話を戻す

一度プレイしたゲームはハードルが低いから、ある種自分が割と自由にプレイできたりもする。余裕があるからだ。

 

作る側になってくると

そしてこれがゲームをはじめ、何かを作る側に回ると、やはり色々と全く違って楽しい。

消費者側になって偉そーなこと抜かしてたのが、いざ作る側に回ると

「あ、すげー!!! 面白い!!!」

もうね、作ってる人の気持ちわかったかこのヤロー!! 的な感じというかね。。。

 

どんな小さな作品でも、自分で生み出す楽しさは段違い

 

...サーセン、それ言いたかっただけなんすよ。

 

ブログ書いてる時が楽しかったのも、やっぱりゼロから何かを育てる感覚でしょうね。

音楽素材を作っている時もそう。

 

ん、なんでかって?

 

それはね、きっと自分しかできない体験だから、なんだと思う。

だから楽しいし充実するんだと。

 

何かを作る、書く、生み出す、って、そういうこと。

ある程度色々な作品を消費していくと、そういう感覚になるんだろうね。

それとともに、人との縁というか、繋がりというか、それらも合間ってより強固となり、かけがいのないものとなる。

 

それが作品に結びつく、残る。

終わりに

曲の書き出しする合間、そして一度曲から離れリフレッシュするというその特殊な儀式とも言える時間を利用してなんとかブログを書いたが、、、

やはり作曲もそうだが、日頃からやってないと感覚やスピードは鈍る!!

 

リハビリも兼ねてどうでも良いことをまた書いてこう。