DAW武者修行17日目
そろそろ伝説の武器が出てきてもおかしくないんじゃないか?
旅をしていても一向に新しい武器が手に入らない。
しかし、そこがヒントなのかもしれない。
今日は「妥協」について考えてみたい。
作曲における妥協、実はこれ過去に書いたことがある。
過去記事を引っ張り出すと懐かしい。
妥協とは一人で物事を進める場合と、チームで何かを成し遂げる場合とでは重みが違ってくる。
一人で全てを背負う責任と、専門分野だけを任せられているのは、ちょっと違うのかもしれない。
どうせまとまらないけど、ひたすら書いてみる。
目次
妥協する意味を考えてみる
一般的に妥協する、というのは「諦めること」というイメージがある。
しかし私の考えでは、妥協は「物事に終わりを告げるための価値観」という認識がある。
すなわちそれは「前へ進むための1つの決断」だ。
それができない人は、基本的には同じ場所をずっとウロウロしている。
ダウンタウンの松っちゃんが、よく笑いで肯定的なコメントでこの表現を使うが、まさにその通りだと思っている。
つまりこれは、作曲に限ったことではない。
妥協の細分化
人は人生で、常に何かを成し遂げるために行動している。
仕事、プライベート、そう全てだ。
そこで世の中を見渡すと、全て「分業制」で成り立っている。
それは「職業」がわかりやすい。
一人、どれだけ優れた人間がいても体は1つだ。
やれることに限界がある。
そこで、一人一人専門性をもつ人間が存在する。
個人、チーム問わず、何かを成し遂げる際、役割が必要だ。
ゲームで言えば、シナリオ、音楽、プログラマーをはじめとした様々なエキスパートの力が不可欠となる。
そのほか、マネージメントや広告係、ひいては応援者も必要かもしれない。
つまり、それぞれの役割があって、初めて成り立つものがある。
そこで考えたいのが「妥協」だ。
例えそれぞれのエキスパートがいたとしても、指示するリーダーの理想に100%応えれるかは不明だ。
しかし、それこそが妥協であり、妥協しないと物事が進まないこともある。
そう、前へ進むために、ある程度で終わりを決断すること。
そして、支持される側からしても、リーダーの指示が必ずしも正解なのかは不明だ。
それこそ、妥協点を決めないといけない。
話は少し大きくなりすぎたが、その妥協っていうのをさらに細分化したい。
そう、
今日書きたいのは、妥協に関連して「ツール、使う道具や素材」の話である。
使うツールと個性
なぜツールの話をしたかったのかと言えば・・・
それをどう使うか、というのは「個性の話」と絡んでくるんだ。
ツールは「何かを作るために必要なもの」だと思う。
それは大きなものから、小さなものまで様々だ。
例えば、それはゲームエンジンもそうだし、DAWというシステム自体はもちろん、各音源やプラグインもその類だ。
基本的に表現者は、
それらを「どこまでを道具として認識しているか」が大事だと思う。
なぜなら、それを決めることが自分の行動の価値観であり、自分の役割を考えるきっかけになると思うからで。
DAWをやる人から言えば、実はそこが「個性とごっちゃになる部分」だと思ってる。
サンプルを使うか、カスタマイズするか、自分で一から音を作るか、プリセットを使うか、こう言った問題。
ぶっちゃけた話、権利的に問題がなければ使えばいい、という話だと思ってる。
妥協と個性の関係
例えば、一人でゲームを作る場合、全てをオリジナルの素材で作ることで犠牲にする要素は何だろうか?
紛れもなく「時間」と「クオリティ(時間を必要とする)」である。
一人で作るには色々と限界があるからだ。
逆にそれらを犠牲にして得るものは紛れもなく「個性」「お金」だと思う。
全てオリジナルなのだから、それは当然だ (そうであってもらわなければ悲しすぎる)
自分の時間だけ使うし、人に曲を作ってもらったり、絵を描いてもらうわけじゃない、お金は自分の時間的な人件費だけだ。
そのお金を使って専門に頼んだ方が早いが、自分の好みでない可能性もあるし、イマイチでもお金は消費する。
世の中には音楽も写真もシステムも素材がたくさんある。
一人で全てやる、とは言え、本当に全ての素材を一人で具現化できる人は稀だし、基本的には自分が作れないものはどっからか入手するだろう。
そう、それが「妥協点」だ。
それも実際に作れたらいいが、作れない。だから買ったり探して妥協する。
それは完成させる為に。
あるいは作れるが、クオリティ的に許容できない、それが現実だ。
もう1つ、一人で作る場合で得るものは「達成感、自己顕示」である。
全て自分一人でやろうとする人は、そこに強いこだわりを持つ。
全部自分でやった、と言いたい。
もしくは、単純にチームでやる難しさから、あえて一人を選ぶ場合ももちろんある。
まぁ普通はそうだし、人と一緒にやるには基本的に色々大変だ。
そこから話をどんどん細分化していくと、
全て自分で創りたい人がオリジナル曲を作るとする。
その曲を作るためのツールはプリセットを使うとする。
では逆に、作曲専門にしている人はプリセットからさらに音を弄る。
作曲だけやってるから、その知識と時間はあるわけだ。
ここで、価値観の確認。
一人で全部を表現したい人にとっては、
まずオリジナル曲、というだけでも個性が出ていて、さらに自分が作った、という個性も手にしている。
それ以上、音色まで自分でカスタマイズしたい、とは思わないと思うし、それ以上の個性はどこまで価値があるのか不明ではある。
もしかしたら、作曲専門じゃないけど作曲したい、自分で作りたい。
これこそが、先ほど書いた、クオリティは犠牲になるが、個性が際立つ。
そして、個性がクオリティを越えることがある、と言う価値観。
強烈な個性は、汎用的なクオリティ以上の存在感を出すことがあるんだ。
ユーザーが人間である限り、その事実を知ると評価が変わる時がある。
「なに? これを全部一人で作っただと? なら話が違ってくるぞ、すごいぞ」
言うなれば、「価値が違う」とも言える。
そう、テーマにもある価値観の相違、もここで絡めたい。
同じ出来でも価値が違う
専門の人が作った曲と、一人で他も全て作ってる人が作る曲では、重みが違う。
そこに価値がある、という考えだ。
重みと単純に書いたが、作曲家はそれだけを専門に作ってるわけだからプライドはあるし、どちらにもそれぞれの重みがある。
もちろん、その情報や説明がなければスルーされるが。
よく芸能人で他の分野で秀でてる人が、作詞してみた、みたいなことがある。
その歌詞は当然、歌詞を専門に書く人と比べて不出来な部分があるかもしれない。
でも、その人が書いた、ということに価値がある。
・・・・と、言った価値観を持つユーザーが一定数でいるわけだ。
もちろん、素人が書くな、これで評価されるのはおかしい、とかいう人もいる。
価値観が違うからだ。
そう、前回も書いたように、個性を価値としてジャッジするのは紛れもなくユーザーである。
作曲者とツールの関係
先ほど、一人で全部こなす人を例えたが、
作曲だけする作曲者も自分が使うツールで迷うことはある。
散々前置きが長かったが、ここからがさらに書きたいこと。
自分で音を作るか、プリセットを使うか、の話だ。
そこで当然、これは「個性」の話が関連してくる。
自分のこだわりや個性を意識する人は、それが伝わるかどうかはさておき、おそらく音色をカスタマイズするんだ。そう、個性を出そうとする。
私もそうだった。プリセットから少しでも何か変えたいって。
実際には、個性がどうとかではなく、それが曲に対して適正なエディットだから、という人ももちろんいると思う。
また、プリセットに頼らない場合、一から音を作らざるを得なくて作る、という人もいるかもしれない。
しかし、何曲も作っていくと、「どこで個性を出すか」というのは作曲者の価値観で違ってくると思っている。
文字通り、曲やアレンジ自体で勝負する、という人と、あくまでサウンド、音色で勝負する、という人。
その中間をいく人も当然いると思う。あるいは、意外な音色の組み合わせ、でも個性は出る場合がある。
プリセットを使うことに躊躇はしないが、必要に応じて自分で調整する、というタイプだ。ちなみに私はそのタイプである。
それは、音色でなるべく悩みたくないからだ。
基本的なベースサウンドを決めて、スパイス的な音色を加えるとき、個性的なものを選んだりする場合がある。
つまり、
今回のテーマである「妥協」とは、そこの認識を自分でどう決めるか、が書きたいことだ。
それが、新しい音源を買うかどうか、と言う理由とも深く関連していると思っている。
カスタマイズする人は、おそらくむやみに買わないと思うんだ。
使う音を変えるということは、それだけリスクもある。
新しい表現や音色を取得する代わりに、作曲が安定しない場合もある。
だけど、作曲は色々な音を操れることが素晴らしいわけだから、それを選択していかないと表現者としては閉鎖的になる。
しかし、その代わりスピードと安定を手にすること出来る。
どれを選んで、どう価値付けるかは自分次第と行ったところだ。
ギターは生演奏じゃなきゃダメだ、という人と、打ち込みでも十分だろ、って人もいる。
その時、自分がギタリストか、ピアニストか、で個性に対する考えや価値観が生まれるんだ。
ピアニストだから、ピアノで個性を出す分、ギターは打ち込みでもいい、と判断する人もいるし、もしかしたら依頼してお金を払ってまでも個性と質を求める人もいるかもしれない。
それはもちろん、使われる作品にもよるのかもしれない。
ユーザーにとって重要な部分を見分ける
作品の中で重要な曲ならそこに予算をかけるし、あまり重要でないなら、素材を使って対応する場合もある。それが妥協、だと思っている。
しかしそれはユーザーが気がつかないのであれば、言い方は悪いが最高のコスパである。
最高の妥協。
何が言いたいかと言えば、結局はこだわった部分が伝わるかどうか、なのだ。
大抵は伝わらない部分が多い。ユーザーは専門ではないから。
だからこそ、ユーザーがレビューでも口を挟みたくなるような部分に、こだわりや個性を突っ込んでいくべきだと思っている。
そこ以外にこだわっても、もしかしたら同業者しか分からないかもしれない。
それは専門分野のこだわり、プライド、である。
アピールポイントが少しズレている気はするが、エキスパートはそこが譲れない。
そこが心境的に複雑な部分だ。
もちろん、それを感じさせないくらいすごいレベルなら問題もないわけだが。
植松さんがFF7の内蔵音源に妥協したと言っていた。
街に入るときにロードが気になるし、それはユーザーにとって重要だから、って。
ゲーム快適性を優先して、常にロードさせるために音色を犠牲にした (らしい)
でも実際ユーザーはどうだろう?
「え、まじで?めっちゃ曲良いし、かっこいいんだけど?」
ここで価値観が分かれる。
こんな音色なのか、もっと良い音色ならよかっただろうに。
逆に、
この音色でも、こんな良い曲を作れて仕上げれて、工夫できるんだ。すげぇ
私の価値観は紛れもなく、後者である。
生オーケストラやバンドアレンジ、原曲が良いってだけで可能性は広がるんだ。
それが未来の今日に行われているコンサートの結果だろう。
想像できる人と、そのままで受け取る人の違い。
難しい話ではある。
そう、言われなきゃ気がつかないんだ。けど植松さんは悩んだわけだ。
だから適正な判断だったと思う。
音色が多少良くなっても、ロードが気になるならゲームの印象は悪くなる。
ストレスなくプレイできるかどうかは本当に大事だ。
複雑だが、
自分が納得してなくても、聴いてる人が「どこが違うの? これでもう最高だよ」って言ってくれたら「何を自分はこだわっていたんだろう」ってなる。
同業者へアピールしたかったのだろうか?
植松さんは音色を豊かにして、自分の仕事のクオリティを誇示するのではなく、ユーザー体験を優先した (ごめん、こんなこと思ってないとは思うけど、あくまで例えとして)
FF7の音楽を認めたユーザーからすれば、植松さんの曲がすばらしいから何の問題なかったわけだ。
全然まとまってねぇ 、断片的にでもどこか傷跡を残せれば良いが・・・
終わりに
全くまとまらなかったからここで一気にまとめる。
妥協とは細分化していけば、職業から役割、ひいてはツールまで多岐にわたる。
そして、個性と絡めた理由だが、前回同様、
それらを認識するのは体験したユーザー、リスナーである。
つまり、同業者にしか分からないレベルのクオリティをアピールするためではない。
そこを勘違いすると、こだわりや個性はエンドレスとなる (もちろんこだわること自体は大事だ、だから複雑だ)
それらを差し引いて、「良い」と思ってもらえる最低限の水準を見分け、適切な時間をかけてものつくり、作曲をする。
レビューを見るときに、そこがヒントになる場合もある。
そんな所よりも、ここが注目されてんだな、って。
大抵、サウンドは無視されることが多い。だからよほど良い曲を書かないと評価の対象にさえなっていないことがほとんどだ。
DAWの修行とは、客観的に見て、どこまでがどういった価値なのか、個性なのか、を逆算して認識し、筆を置くことである。
自分の価値観を持つ、とは「全体を考えて自分なりのアンサーを出す」ということだ。
あとはユーザーに委ねられる。
それはもう自分でどうこう出来る範囲の話ではない。
妥協とは・・・それぞれの立場によって、非常に複雑な感情である。