ゲーム音楽の巣

フリー音楽素材サイト「音の園」の管理者及び作曲者。このブログではキーボーディスト、ゲームミュージックの作曲を中心に音楽雑記を書いています。健康第一。

【作曲】曲作りや音楽性において『個性』とは何なのか考えて見る

日焼けのイラスト「ビーチベッドに寝るサングラスの女性」

「個性とは?」

DAW武者修行15日目

いよいよ修行も前半に比べて幾分落ち着いてきた感はある。

しかしまだまだ口だけで語れることはありそうだ。

 

さて、今日は作曲に置ける「個性」について考えてみたい。

 

adventar.org

自分が好きなアーティスト、作曲家の曲を聞いて個性的だと思う人は多いよね。

私もそう思う。

 

個性っていうのは曲だけで考えると「特徴的な何かがある」ということだ。

それを多角的に考えてみる。

目次

曲の個性とは? 

ツワブキのイラスト(花)

いきなり結論だが、

色々考えてきた末、曲の個性とは「楽曲だけにあらず」と思っている。

どういうことか?

 

曲の個性を出せる要素は色々あるが、

総合すると音楽的理論、発想、そして癖(パターン)である。

例えば、

 

あの人は毎回あの音色を使う。

あのコード進行を使う。

あの音色の組み合わせを使う。

音をああやって絶対に重ねて、あの響きにする。

メロディに特徴がある。

構成に強い癖がある

 

キリがないけど、

楽曲だけで見ればこういった要素で個性は表現(認識)されていると思う。

しかし考えて見たいことは、そもそもその個性を「個性と認識」しているのは誰だろうか?

それは紛れもなくリスナーである。

リスナーが鍵

ラジオを聴く人のイラスト(女性)

我々リスナーが曲に個性を感じる条件として、

曲自体の個性は当然あるのだが、重要なのは、それらの癖やパターンを個性とジャッジするリスナー自体が、

「どれだけそのアーティストの曲を聴いているか」だと思っている。

 

個性とは認識、気づきである。

それはどこから来るのか?紛れもなく「リスナーの記憶」だと思っている。

聴いてきた経験から予想し、「このパターンはあの人でないか?」と判断することだ。

 

あくまでこれは、予想するパターンの話であり、すでに聴いた後に「この人の曲はここが良いんだよね」という個性の認識とはまた別の話になる。

 

簡単に説明すると

Aという曲がある。

Bという曲もある。

AとBは同じ作曲者だとする。

 

ではBだけを聴いた人は作曲者を特定できるのか?

 

もっと話を具体的にする

AはANDYさん

Bは佐藤さん

Cも佐藤さん

Dも佐藤さん

Eも佐藤さん

Fも佐藤さん

GはANDYさん

 

そのリスナーはAの曲は1回聴いたことがあり、B-FはTVやゲームで何回も聴いたことがある。

でも、AのADNYさんの曲も音楽的な個性は出てるとする。

 

その人はGを聴いてANDYさんと判断できるか?

 

という感じで、まず無理だと思う。

一回しか聴いてないのに特定は不可能だ。しかも同じ曲調でもなければさらに無理。

サウンドトラック中、30曲あるうち、5曲くらいがキラーチューンだとする。

10曲も多少分かるレベルで個性が出てて、後の15曲は誰が作っても同じようになりそうなものだとすれば、聴き込んでなければ余計無理だと思う。(極端だが)

 

個性とは、リスナーが感じることである限り、「ジャッジは露出度に比例する」と思ってる。閉鎖的な露出でも、リスナーがファンで何度も聴いてくれれば、その範囲で分かってもらえる個性の認識も十分だと思っている。

 

つまり、どれだけリスナーに触れたか、が重要で、曲自体に個性がどれだけ出ていようが、聴かれなければ個性と判断するレベルまでも行かないんだ。

 

例えば曲を作る側からすると、

それだけビッグアーティストの個性やパターンは多くの一般的なリスナーに認知されているため、それを模倣すると本当に意味での自分の個性から遠ざかる可能性はある。

それは既存曲からアイデアをもらう代わりに、個性を犠牲にし、クオリティを上げるという交換条件でもある。

 

しかし既存曲はそれだけ売れていたりリスナーが良いと思っているわけだから、「共感してもらえる要素」はあるということだ。

 

それらをうまく捉えて自分のアイデアと一緒に盛り込まなければならない。

模倣するだけでは大抵、パクリ扱いとなる。

 

パクリの話と関連すると思っている。

andy-hiroyuki.hatenablog.com

 

要約すると、本当の意味で自分の個性(アイデア)を出したいなら、曲のクオリティがある程度まで出せるようになったら、自分で試行錯誤するべきだと思う。

ただ、需要がある曲を作る場合、それは当然一概に当てはまらない。

そこで、音楽を仕事に繋げたい人と、アーテイストでもありたいと中途半端な価値観を持っている場合は苦悩する。

私がその類だが、みんなそうじゃないかと。

 

最初から個性を出そうと悩んで、曲つくりが進まない作曲者がいる。

私もそうだった。個性とは何か?って。それは聴く人が判断することだ。

それをもう一度考えたい。

 

最初から個性を出したがる

レッドヘッドアガマのイラスト

個性を出したい理由は概ね決まっている。

「こだわり」または「自己顕示欲」である。

こだわりは誰でもあるし、私もある。自己顕示欲ももちろんある。

それが表現者だ。

 

個性は自分のアイデアを曲に盛り込むことで、必ず出るものだ。

だが、盲点があり、

出ているが「認識されていない」これが現実だ。

 

 

自分がリスナーとして考えた時、自分が個性と判断できるレベルまで結局はその人たちの曲を聴き込んだ、という事実がある。

ボーカル曲は声を聴いてしまえば分かるので除外する。

インストだけで個性を出す、というのは相当である。

 

なので、個性を出したいのであれば、「多くの人に聴いてもらう」ことに力を入れたほういいと思うんだよね。

もしくは「リスナーは少なくても良いから、曲自体を何回も聴いてもらう」ということ。

私はその可能性の1つとして「ゲーム音楽」があると思っている。

 

もちろん、初音ミクや、バンド、ジャズなど、楽器を限定したバンドなど、一定の範囲内での特殊なリスナーは存在する。

私はそれらのジャンルには疎いが、好きな人はすごく詳しいし、その範囲内、ジャンルで勝負するなら聴いてもらえる確率は上がると思う。

 

砂漠で演奏していても無謀だ。

やるならどこかの村や街、もしくは特定のバーなどで表現すべきだ。

それが音楽SNSをはじめとするコミュニティだと思っている。

 

しかし何度も書くが、自分が好きなジャンルでないと意味がない。

続かないからだ。

 

だから自分が好きなジャンルで試行錯誤するというのは1つのやり方だと思っている。

 

どれだけ曲を作っても、聴いてもらえなければ、曲の良さは愚か、個性がどうとか、というレベルで聴いてもらえるかどうかの次元でもないのだ。

 

一般のリスナーでも分かるレベル、という個性は、相当の地名度と曲の個性がある人。

その作曲者のことが好きな猛烈なファンによる個性のジャッジは、個性も出ている上で、聴き込んだ人に分かるレベルの個性。

 

聴き込んでもらえるほど好きになってもらえなければ、あとはどれだけ聴いたか、記憶に残っているか、というだけの話で終わってしまう。

作曲者の視点

作曲する人工知能のイラスト

作曲する人や同業者は、音楽的な視点で曲の個性をジャッジする。

いや、するだけかもしれない。あくまで自分の記憶の中の範囲内での予想だ。

 

音圧、仕上げ感、ミックスの癖、音色の使い方やフレーズ、色々あると思う。

あとは冒頭に書いた理論的なものもそうだ。

 

しかし、これだけ曲があるわけだ。

既存曲に似ている、影響を受けている、という認識、ジャッジをクリアした上で、自分と認識してもらうには、相当な壁があるように思える。

誰かを模倣すれば、〜ぽいね、となってしまうし。

 

結局は「どれだけ自分の曲を聴かせれるか」な気がする。

 

繰り返し、

個性とは、要素ももちろんあるが、基本的には「認識」の話だと思っている。

それは「リスナーの記憶」とも言える。

 

もう一度改めると、

個性を出すことよりも、たくさん聴いてもらうことに力を注ぐべき、だと思う。

その頃には個性は出ているだろう。

つまり「作曲をそれまで続ける」ということの方が大事である。

終わりに

人の記憶に残る曲を作りたい。

誰でも作曲者ならそれを夢見る。

 

しかしそれは結局、「自分(自分の音楽)と深く関わりのある人に届くもの」だと思っている。

すなわち、曲の個性を出すよりも「自分の曲を気に入ってくれる人を大事にする、作っていく」ということが大事ではないかと思っている。

 

よく方向性が変わったからファンが離れていく、という現象がある。

これは難しく、ファンがアーティストについていくか、あくまでアーティスト側がファンが求めているサウンドを第一にしているかだ。

私はどちらの現象も否定する気は無く、それぞれの理由がある。

前者も後者も、人間の普遍性から余儀なくされるものだ。

 

常に変わりたいと思う人間、ずっと同じで安定を求める人間の話。

 

共通することは、シンプルに良い曲を書く、ということを目指せば良いと思っている。

その上で自分なりの工夫をすれば良い。

良いと思うかはリスナー次第だ。

だが「なぜ良いと思われたか」を解析する価値は十分にある。

 

あとは、その曲を通して、人生でどれだけ人と出会えるか、だと思う。

 

 

直接的に関わることができて、一人でも自分の曲を良いと言ってもらえたら最高な人生だと思っている。

 

DAWの修行とは、自分の曲を通して、自分と縁がある人とどれだけ出会えるか、である。それは人生の宝だと思う。