DAW武者修行8日目
作曲を向上させるためならどんな些細で一見役にたたなさそうな意味不明な事でもひたすら書いていくシリーズです。
吐き出す、吐き出す、とにかく「今考えていることを吐き出す!」
まるでデイトレードのメンタル日記のように・・・
今日は「作曲は技術なのか?」というテーマです。
よく天からメロディが降ってくるって言うけど、それ実際どうなん?って
多分人それぞれで、作曲方法や閃きはみんな違うんですよ。
それぞれのやり方がある。
まぐれとか技術のことを書いてみる。
「相変わらず登場する時のセリフがいちいち長いんだよなぁ兄ちゃん」
目次
作曲は技術か?閃きか?
結論から持論を述べると、「どっちも」だと思ってて。
とりあえず天からメロディが降ってくる、って言うのは個人的には「イメージの話」であって・・・トイレで思いついたりしてた。バンド時代とか。
だーって走っていってすぐ弾いてみる (今はそんなことしない)
けどその時は「技術」がなかった。
そう、アイデアやきっかけを思いついても、それ表現する最低限の技術が無い!と言うことに、作曲へのトラウマや諦めがあったバンド時代。
だから作曲の意欲が湧かないわけだ (ジャンル的にもあまり得意ではなかった)
非常にネガティブな意見だけど、作れる人が作った方が全然良いと思ったんだよね。
ただ音程を操るキーボードパートなのに、作曲が出来ないって言うのは若干コンプレックスでもあったんだ。
そんな感じでDAWも知らない時、シンセの内蔵シーケンサーでちょっと打ち込むレベル。
だからそのメロディをどうこうすることも出来ずに、ただコード進行を探って打ち込んで・・・
メンバーに聴かせたんだけど、たちどころにボツ臭が漂っていた。
ステレオスピーカーを前にフリーズする我ら。
この時は単純に良いメロディじゃなかったのもあるけど、そのメロディをうまく聴かせれるような編曲が出来ない状態だった。
しかも曲は断片・・・
つまり早い話「イメージが伝わってない」と言うことなんだ。
リスナーと作曲者の問題
曲を聴かせる時、誰でも少し緊張する。
DAWでゲームの曲を作り始めてからもそうだけど、実は人にデモを聴かせる時に感じた事がある。
それは
「中途半端に作ると伝わらない」
当たり前の話だけど、デモって言うのは完成度次第ではイマイチと思われてしまう。
私は曲の本質が良ければ良いと思ってるんだけど、それは聴く人の音楽知識やイメージ次第でもあるだよね。
もちろん、最悪自分だけが良いって思い込んでることもある。
その理由を考えたんだけど、
「相手は最終的にどういった仕上がりになるかイメージ出来ない」
これは、まずお互いが何年もそういったやりとりをしていて、デモと完成版の「差」を熟知しており、なおかつ信頼している場合において、デモがイマイチでも最終的にはそこそこのクオリティになるだろう。と言う考え。
相手が音楽をやってる経験があっても、これは発生する。
まぁその場合は余計に手を抜いているだろ、って思われることもあるが・・・(自戒)
だから手を抜いたデモ、もしくは技術が一定のクオリティに達していないデモは素材が良くても良いと思ってもらえない可能性がある。
それは非常にもったいない。
音源を変えるだけで評価が変わる場合
そこで「音源」の話。
良い曲は音源がチープでも良い曲、と言う話を書いてきた。
しかし、あくまでそれは「曲のアレンジや仕上がりが一定以上の話」である。
まぁいずれも聴かせる人に依存する。好みもあるからだ。
音源と曲の本質の話は散々してきたけど、やはり一般的には音源は迫力があった方が伝わりやすいのはある。見抜く人は見抜くと思うけど。
編曲の良さで音源をカバーするのか、その逆か、と言う話。
良い音源に変えてそれでOKが出るなら結果的にはその方が良いんだけど、それに頼ると自分の実力との差を感じる時がある。
少し話がタイトルから逸れてしまったけど、
このように、曲は技術が一定以上ないと、聴かせる人次第では低評価を下される場合がある。厳しいけど、これは身をもって体験した。
例えば、逆に作曲者に聴かせた場合、その人にあったアドバイスができる場合がある。
大抵、苦労してきた経験から相手のことを理解できるからだ。
「曲自体は全然OKだよ、あとはこの辺をこうするともっとよくなるかも」
曲の本質、方向性自体が良ければこういった意見も言えるんだけど、逆に音楽をやらない人の場合、そういった目線の聴き方になってないかもしれない。
「なんか音も安っぽいし、イマイチだなぁ」
そう言う場合は、その人にとってはそこが重要なんだ。
その人の為に作る曲なら、その意見を優先した方が良いし、それはもしかしたら事実だったりもする (事実であることは多い)
違う方法で聴こえ方を変えれるならそれでも良い。
とにかくクオリティを上げるしかないし、手っ取り早く音源をアップデートした方が良いかもしれない。
今まで曲を作ってきて、たまたま良いメロディがかけた時もあれば、音源の迫力とか、アレンジがうまくいったことによって、雰囲気を出せた曲もある。
だからやはり「技術が一定以上ある」と言うのは、あまり良く無いものでも、良く聞こえさせる技、なんだと思う。
それはプロからすると必要な技なんだろうなと。
良くあることが、成績表がイマイチなことがある。
「なんでこの評価なんだ」
その先生の評価ポイントとズレている可能性もあるが、相手に合わせてチューンナップしなければならない。
ゴマをする、とは違うが、好みや求めているものを特定する能力、それはやはり「一定以上の技術」が必要だと思う。
語弊があるけど、これはあくまで人のために作っている曲の場合。
マーケティング手法
話は少し逸れるけど、評価と技術について寄り道。
先日、あるアーティストが歌詞の書き方について「マーケティング手法」を取っているという話題で、一部炎上?っぽくなったみたいだけど(ごめん詳しくは知らんけど)
要はアンケートを取って、共感されやすいキーワードや題材で歌詞を構成していた、って事なんだが。
私は特別ファンではないので「やはりプロだ、すごいな」って思ったんだが、普通にそのアーティストが書く歌詞は「自分の経験を元に書かれたもの」って思ってたファンは、ちょっと困惑するのかもしれない。
だってそれがそのユーザーの曲の評価になる要素だったわけで。
そこで本人の実体験じゃないならもう共感できない、価値はない、この人を好きな理由がない、って極端な考えになってしまう人もいると思うんだ。
そこまで、出す曲全てが想像とかではなく、実体験重視という考え。
まぁ本当にそうだったのなら、それは仕方ないけど、よく考えたらそうじゃないはず。
だって歌詞だけなら他にもたくさんアーティストはいるから。
そのアーティストの外見、声、歌い方、メロディ、ジャンル、プロモーション、イメージ全てが少しずつ評価になっていくはずなんだ。
つまり、その人は評価の構成比として、
その歌詞の実体験重視の評価比重があまりに大きすぎたんだろう。
補正がかかりすぎたんだ。
構成する力が技術であり、実力
確かに、一見、アンケートで一番多かったものを中心に構成する、って言うのは「もはや自分の考えじゃない」って見方も取れるけど、それを犠牲にすれば共感を得れると言う事。しかもパクリじゃないし。
結果的にアンケートで多いもので表現を構成することで、多くの人に共感してもらえるんだと思う。
むしろそこから構成できる技術の方が、はるかに賞賛に値するとは思う。
自分よがりを通すのか、トレンドに合わせるのか。
逆に言えば「合わせれるのか」だ。曲でもそう。
これ何にでも置き換えれる事
SEO考えてブログやってる人ならわかる話だし、日記を書いて集客できる人はアーティストなわけです。
両方備えていて、その配分が絶妙と言う人もいると思う。
求められる人物像になれるか、もしくは素の自分がそうなのか、という。
アーティスト型か、職人型か。
その比率だと思う。
安定にはまぐれではなく、技術が必要
話を少しずつテーマに戻したい。
世の中のアーティストは、普通に考えれば数曲作ったら実体験に基づく歌詞など放出し尽くすはず。
だから結局はテクニック、技術で歌詞や曲を書くことになっていくんだ。
なので先ほどのアーティストのやってることは、かなり普通だと思う。
(もちろん、技術的にはすごいことをやってる、という意味で)
私の大好きな、ドラクエのすぎやま先生がインタビューで
いつも良い曲が書けるとは限らない、
でも僕はプロだから書かなきゃいけない
だから良いものが出てこない時は「技術」で書くんです
こんなようなニュアンスだった。その通りだと思う。
でなければ、永遠に奇跡に頼って曲つくりすることになる、それは不可能。
冒頭にも書いた「曲が天から降ってくる」っていうけど、最近では勝手には降ってこないと思ってる。
ひねり出すもの、だと思ってる。うんこみたいに。
ただ場所はトイレじゃないんだ、PCの前。
今では「作曲するぞ」って言うモードに切り替えないと、特に何も思いつかない。
多分「切り替えが必要」なんだ。
なんと言うか、DAWの画面が最近アーミーツールに見える。
絵はもちろん、リージョンとかピアノロールとかトラックの全体像を見て、何か思い浮かぶ時もあるから、視覚的な面でイメージがわく時もある。
大抵、何があと足らないかな、とかそう言う時も、DAWの画面から考えたり。
作曲の後半になってくるとだいたい気づく「あ、ひねり出してた」って。
うーんうーん作っているうちに、「あれ、こうしたらよくね?」ってなっていき、いい曲になりそうな兆しが見え始めていく(言うなれば閃き)
その閃きやきっかけを、うまくまとめて構成する技術や理論が必要、という考えに至っている。それはずっと作ってきて経験して思ったこと。
おそらく、そういった知識や技術があれば「試せることが多くなっていく」し、「失敗を経験してこれはやっちゃダメってのが分かる」それが積み重なっていくから、無意識にそれは避けるようになるんだと思う。
つまり「早くゴールにたどり着けるようになる」そんなイメージ
だから、今作ってる曲で使えそうなアイデアや候補を絞り込めるし、それがダメなら新たな手段を考える、というループなんだ。
安定からの脱出
ただ、一定の技術を身につけると曲つくりは安定してくるが、それはあくまでも「今のクオリティでの安定」だと思ってしまった。
同じ手法をとる代わりに、スピードや安定を優先して、クオリティの向上や新しい表現を身につける、と言うことを犠牲にしているとも言える。
それはなんとしてでも避けなければならない。
もっとクオリティを上げたい思っているうちは、向上心があるはず。
確かに、作れば作るほど色々な曲が出来ていくわけなので、何か進んでいるようには思える。
しかし使うツールや音源はもちろん、使い方、も決まってきている為、なかなか劇的な変化を望めない。
一度作曲への取り組み方を改める時なのかもしれない。
終わりに
作品に合う合わないはもちろん重要だけど、やはり一定以上クオリティの高い曲はどんなシーンに当てても良かったりする (勝手な憶測だが)
誰とは言わないが、それはまだまだ自分がそのレベルの人に嫉妬していると言うことなんだろう (もちろん良い意味でw)
そう言う曲を聴いてるとすごくこだわっているのが伝わってくるし、作り込みもすごい。
自分もそのくらい一曲一曲に力を入れていきたい!、と思った。
DAW武者修行はまだまだ続く
「なんかあったんかな、やけにシリアスだったが・・・頑張れ兄ちゃん」