ゲーム音楽の巣

フリー音楽素材サイト「音の園」の管理者及び作曲者。このブログではキーボーディスト、ゲームミュージックの作曲を中心に音楽雑記を書いています。健康第一。

【作曲】曲作りが飽きない理由は『ランダム要素が多いから』だと思う

ビンゴカードのイラスト

DAW武者修行18日目だ。

そろそろラストダンジョンに近づきつつあるか。

この旅の目的を若干見失いつつあるが、作曲と自分との関連性を見出すということは忘れていない。

adventar.org

 

作曲に慣れてくると、自分でもどうやって作曲をコントロールしていくかが次のステップのキーワードになってくる。

 

と言うのも、

やはりどれだけ慣れてきても作曲というものに安定はないと思っている。

そして、だからこそ作曲は飽きない、とも思っている。

今日はそのあたりのことについて書いてみる。

 

目次

なぜ作曲は飽きないのか? 

液状化現象のイラスト

これは先に私の作曲への持論から言おう。

「作曲は安定しないからこそ、面白い!」

もうこれに尽きるぞ。

 

少し話が脱線するが、 

私はワールドネバーランド(通称ワーネバ)、というゲームが死ぬほど好きで、初めて目にしたのは従兄弟の家で彼らがプレイしてたのを観てだ。

今ではデベロッパーも変わってスマホなどでも色々出てるんだが、オススメは紛れもなく初代オルルド王国、そして二作目のプルト共和国

 

それから帰宅して、すぐさま自分もお小遣いで買った。

ネットも普及していなく、ワーネバーの評価というものは世間的には分からなかったが、私は買ったその日は徹夜でプレイした。

 

終わらないんだ、面白すぎて。

 

そしてこのゲームは知り尽くしてからもまだまだ遊べる。

なぜなら、「脳内イメージによる想像の余地が残されているから」だ。

つまり、妄想したり自分でゲーム内の素材を使って物語を考えたりすることができる人は、気狂いな次元で楽しめてしまうのだ。

 

そんなワーネバだが、ネットが身近になり、世間のレビューが簡単に可視化されるようになった。

そう、ある日見てみた。ついでに日記的なファンサイトもチェック。

 

なんと、まさに徹夜必死で自分と同じ感覚の評価が多いじゃないか。

案の定、

自分なんかよりも相当なマニアックプレイをしているユーザーのオンパレード。

先祖や系譜や事象な丁寧に記録している。

もちろん、何があったかは小説を書くようなレベルだ。

関心するぞ。

 

(ちなみにデザインはロトの紋章の藤原カムイ先生だ。メモを取るときに出てくるイラストはミステリーをより増幅させる)

私も誰かにおすすめせずにはいられない!と言うことで、サイトを作ってくれてる友人、ロスに住んでる友人にも当初勧めたんだが、案の定、徹夜必死だ。

 

どんなゲームかを知りたい人はぜひ死ぬまでに一度プレイしてほしい。

 

そしてBGMも計算し尽くされたインタラクティブサウンドで、最高なんだ。

全てが数小節のループサウンドで構成されており、マップが切り替わるごとに違和感なく繋がるようになっている。

 

影響を受けて作曲を始めた当初、ワイルドネバーランド、とかふざけて似たような曲を作ったくらい好きなんだ。 

死ぬほど暇だったら聴いてほしい。

ワーネバ知ってる人が聴いたらきっと笑い必死だ。

 

話を戻そう、

で、なんでこのゲームのことを書いたかというと、

このゲームの面白さは何と言ってもその「ランダム性」にある。

 

毎回全ての出来事がランダムなんだ。

NPCの名前、行動、顔グラフィック、生まれる赤ちゃんの性別など。一定内でのゲームルールはあるものの、基本的には何をしても良いんだ。

修行して鍛えてもいいし、恋愛してもいい、家族を優先して子孫を残したり、永久的な繁栄を目指してもいい、仕事に没頭してクラスを上げ、王国に勤めるのもいい。

王国に隠されたメモを発見して、謎を解いたり想像してもいい。

 

そう、このゲームで何をするかを考えるのはプレイヤーの自由。

それがワーネバ。

 

詳しくは省くが、そうやって「自分で考えて何か目標を立てて行動する」というのが面白い。

そしてそれを飽きさせないのが、ゲームシステムのランダム性だ。

だから何回リセットしたり、たまにプレイしてもやめ時を忘れてしまう。

恐ろしいなワーネバ。 

ランダム性と作曲

乱切りのイラスト(野菜の切り方)

作曲はどれだけ続けてもコントロールできない要素が非常に多い。

それは閉鎖的に考えて主に2つ理由がある。

 

まず1つ目は「自分でまだ操れない」という段階。

これは運で作曲している状態とも言える。10曲作って2曲できれば良いみたいな段階の時だ。後の8曲は完成させるまでもなく途中でボツ。

 

2つ目は「どんな曲ができるか分からない」ということ。

1つ目で書いた初心者、プロ問わず多くの作曲家に当てはまると思うんだが、作れるようになっても、いざ作るときは何かを考えて作るわけだ。

例えば、一週間後に、こういう曲が出来る、なんて自分自身も知るわけがない。

でも、何か曲が出来るわけだ。

これがコントロールできない部分だ。

 

ここで言うコントロールとは、機材や音源、曲調を操る、と言う意味ではない。

 

どんな曲が出来てくるのかが完成するまでは誰も分からない

 

そう言うことを言いたい。

 

それがわかってしまったら作曲はただの作業になる。

それはつまらない。

 

音楽は色々な要素で構成されている。言ってしまえば無限だ。

だから、人の数だけ答えがある。

 

そこが面白い。

そして、そこが怖い、部分でもある。

 

安定は安らぎかもしれないが、

安定はもう決まっている、ということだ。

 

不安定は確かに怖いが、皮肉にもそこに緊張感と面白さがある。

そして、それが人生だ、という人もいるだろう。

 

もちろん、生活的な安定というレベルの話で考える人もいれば、あくまでクリエイティブな面でのレベルで考える人もいる。

前者は世界一周したり、やりたいことをやるまでは死ねない、という人の発想だったりする。

色々犠牲にしても、一度きりの人生でやりたいことをやれずに終わるということの方が怖いと思うから行動出来るのかもしれない。

 

話を戻すが、

そんな感じでコントロールできない要素が非常に多い、というのは言い換えれば「選択肢がそれだけ無限にある」ということでもある。

その中でも、その無限にある選択肢を経験によって狭めていく、これが作曲を安定させる要素だ。

しかし、結局そこまでやってもまだまだ選択肢はある。

自分が消去した選択は、ある人にとっては残した選択肢かもしれない。

 

だから面白いんだ。

 

もはやワーネバの語りが8割だが、それだけこのゲームが私に影響を与えた要素は大きいと言えるんだ。

ゲーム音楽に影響は受けても、ゲーム自体から影響を受けることはそうそうない。

とても考えさせられるゲーム、それがワーネバだ。

 

終わりに 

人生はランダムだ。

そこが面白い。

ランダム性が自分の人生で限りなく面白いものにしている。

そして作曲もその1つだと思っている。違うだろうか? 

 

DAWの武者修行とは、修行の過程で発見する様々な知識と価値観、そして人々との出会いを楽しむ行為である。

それは自分の選択肢によって、全てのランダム要素が意志を持ち、1つ1つ自分の未来を決めていく。

まさに、それは人生だ。