先日、ベルトが壊れました。
なんども使っていると、穴がどんどん広がりそこから革にひびが入り、ついに割れました。
さらに少し前、靴が壊れました。
履き過ぎて先端が擦り切れ、靴裏もすり減り、留め具が壊れました。
その時ふと思ったのです。
「これ、使い切った、ってことだよな・・・壊れるまで使い切る、ってすごいな」
食べ物や生活品のように、使い切る、と言うことがなかなかないですね。
今の時代、使える余地を残して売ったりオークションへ出品して、その資金で次のもの買い替えたりしていくのが当たり前になってます。
まぁ壊れるまで使う、と言うのはあまり無いとしても、使い倒す、使いこなす、みたいなことも少ない気がしています。
その製品のポテンシャルを最大限に引き出す、と言う価値観。
なかなかそんな製品に出会えることも少ないんですけどね。
ゲームで言えばクリア、本は読破して得た知識を整理する、機材なら使い倒す、CDや音楽なら聴き倒す。
ゲームも買ってちょっとやって放置、本も積み重なるがアウトプット出来てない、買った音源は10%も使ってない、CDも一回か二回くらいしか結局聞いてない。
そんなものに囲まれてるなー、と部屋を見渡してました。
目次
むやみに機材を増やさない考え方
こんな記事を読みました
言うまでもなく、FFの作曲家ノビヨ師匠こと植松さん。
植松さんの音楽を好きな人は世界中にいますよね、私もその一人です。
大好きで自伝とかファミ通とか、特別号とかで昔スクラップしてきて色々と読んできました。
今回のインタビュー、植松さんは久々にガッツリ音楽話ができて満足の様子です。
その中で、いくつか共感できる言葉がありました。
その一つに「新しい機材を使わない」という価値観です。
植松さんは昔からあった「Vision」と言うソフトやDTMで昔から名器の「88pro」をいまだに使っているようです。
一時期logicに移行したと書いてありましたが、平行して使ってるのでしょうか。
仕上がりの統一性
私自身、ゲーム音楽をイメージした音楽素材を作っていますが、作り始めて間も無くブチ当たった壁の一つが「音源の差異」への意識です。
早い話、どの音源を使えば(組み合わせれば)自分の作りたいイメージの曲の品質にまとまりが出るのか?
例えば、バトルの曲を作るとします。
で、しばらく期間を空けてまたバトルの曲を作ろうとした時、
「うーん、今回はどの音源を使おうかな〜」
こんな感じになるんですね。
このブログでも過去に何度か書いてきたのですが、曲を早く書くためには自分で作ったテンプレートが必要だと思ってます。
それがあれば、必要以上な音作りや音色選択で悩んだりする時間をカットできます。
さらには、自分が作る曲の仕上がりに統一性が出ます。同じ音色で作っているので、それは当然です。
画家が予め使う画材や色を決めてるみたいな。
これが毎回ドラムのキックはどうしよう、新しく買ったマルチ音源使ってみよう、とかなるともうそれだけで時間を食うわけです。
それだけでなく、前回のキットに合わせていた他の音色も合う合わないが出てくるので、それに合う音色をまた探したり・・・
このような作曲とは別の作業に意識がいってしまう。
分業においての植松さんの仕事
推測の域を出ませんが、過去に色々読んできたインタビューで植松さんは
「自分はあくまで作曲家、音色を作り込んだり、曲ごとに適正な音色に変更したり、細い数値をいじるのは別の人の仕事。僕はそんなことやってたら曲つくりが進まないので、MIDIデータだけどんどん作っちゃう」
このようなことを言ってました。
もちろん、大企業の大型ゲームの製作と、フリーで自由に作ってる環境とでは差がありすぎて、この話を個人的な悩みの解決に持ち込むことは難しいのですが・・・
自分で全部作って完成させてる今時のフリーのサウンドクリエイターは、日々新しい音源を買ったりして、モチベーションの糧にしたり、単純に良い音を求めて向上心を維持しているかと思います。
それは、より良い音で、より新しい音を使おうとすることで、作曲への意欲を高めると言う意味では正当な行動です。
ただ、一方で機材をむやみに変えない、と言う人もいます。
色んな理由はあるかと思いますが、
今あるもので工夫する
慣れたものを使う方が早く形にできる
これは本当にそう思います。
音源と言うのは、質感もリアルさも違うので、組み合わせによっては浮いてしまったり、目的によってはマッチしなかったりします。
そこを工夫してミックスする、と言うのも一つの楽しみだと思いますが、基本的に作曲家は
「この音と、この音がこのフレーズでこう重なったら、だいたいこんな感じになる」
って言うのを、分かっておきたい、と思うのです。
そうすることで、そこはあまり考えなくて良いので、メロディラインや作編曲に集中できる、と言うメリットがあるからです。
状況や立場の違い
かつての植松さんのように、会社員として曲を作る、と言うやり方と、常に依頼待ちのフリーの作曲家、締め切りがある人、他で収入源を確保しながら、自分が好きなものだけ腰を据えて作る人、
それぞれに、心の余裕や作曲に使う時間や考え方は違ってきます。
なので一概にこれが正しい、は当然無いのですが、新しい音源を常日頃から必要以上にチェックする、と言う習慣もどうなんだろう、そんな感じもします。
むやみに追加しなければ金はそれ以上かかりませんし、よほど、この音源だけは持ってない、と言う場合や、絶対にこれじゃ無いとこの質感は出ない、そしてそれが自分が作るジャンルには必要、そこまで言い切れるものは良しですが、、
ものを作るってのは、音楽だけ極める、と言うことでも無いので、できれば音楽以外の経験にもバランスよく投資していきたいなーとか思います。
と言うのも、昔の自分は鍵盤楽器ばっかりにお金を使っていたので、旅行とかも行かなくて日本に住んでいながら知らないことだらけです。
改めて音楽以外の体験や経験も大事にしたいなーと。
消化率を意識したい
機材をむやみに変えない、と言うのは究極だな、って思うんです。
植松さんは。色んな楽器を買って触ってみたり、音楽を聴きまくることで発想を広げたり、自分の音楽に対する価値観、楽しみかたを広げる考え方を持ってます。
どのように作曲活動していくかにもよりますが、機材を増やすことで、時間やお金を消費して、今あるものを30%も消化せずにいる状態、と言うのは問題ありかな、とも思います。
気がつけば読んでいない本やゲーム、まともに聞いてないCD、使ってない音源に囲まれていました。
小まめな整理を心がけたい
最近断捨離をしていて思うのですが、処分には決断が必要です。
今では評価やレビューを見ながら簡単にネットでものを買えるので、お手軽な反面、一つ一つのものを軽い気持ちでどんどん買ってしまってました。
大きいものから小さいもの、ダウンロードのようなデジタル製品から実物まで。
知識や経験に投資するのは良いのですが、同時に不必要を自分の中で整理しないと、整理しなきゃ、と思った時にはものがあり過ぎて対応できなくなっている気がします。
ありすぎてどっから手をつければ良いのかやら。
CDやゲームなども買っておきながら、対してやりも聞き込みもせず、結局10%程度しか消費してないような物で溢れてるんですね。
そう、消費なのか、投資なのか・・・結局価値観を自分で整理できていないってことは、もはや「浪費」になってんじゃねーのか? (いや浪費だわな)
そう、自分で投資だとか言い聞かせて買ったものは結局最終的には浪費にすり替わってんじゃないか、って (すり替わってるよ)
それは本質を見失なってる可能性が非常に高い。
もちろん、買ってから全く価値が無いことに気づくこともあります。
そんな時はすぐさま売るか捨てるなりしていく。
まぁ後からどうとか、ってことも考えられますが、それ言い出したら全部、ってなっちゃうので。自分に必要なものはまた時が来たら戻ってくる、って言いますし。
最後に
植松さんも言ってましたが、本当に長く付き合えるものを周りに配置していきたいものです。本当は長く使えるものを使うのが幸せな気がします。
それには自分の価値観と向き合う姿勢、常に製品のポテンシャルを最大限に引き出す努力が必要だなと。
壊れたベルトや靴を見て、こんなことを考えるキッカケになりました。ありがとう靴さんベルトさん。