「あのさ包丁、ちゃんと切ってよ」
曲を作るということは広い枠で考えると「ものつくり」になるわけなんだけど、そういうのはだいたい料理に置き換えれることが多いです。
例えば、何か曲が作りたいと思っててとりあえず作り方を覚えるために色々と情報を探します。
すると「〜の作り方」というような情報を見つけるわけです。
それは料理で言えば「レシピ」に当たるんですよね。
目次
レシピは答え
料理のレシピというのは、いわば「答え」なんですね。
誰が作っても、書いてある通りにやれば同じ結果になる、それがレシピです。
で、これを作曲に置き換えると、作曲も実は全く同じなんですよね。
作曲ができるようになる本、みたいなやつあるやん?
そこにとりあえずこうやってください、みたいなんがだいたい書いてある。
コードと簡単なリズム、メロディ、確かに書いてあるようやればその通りになりますが…
しかしどのDAWや音源を使うか、などは特に指定して書いてないと思います。
というのも、そこは指定して書いても仕方ないよね、で話が終わってるんですね。
例えば料理のレシピは使う道具や材料、グラムは書いてあるけど、調理器具のメーカーや材料の具体的な産地まで書いてないわけです。
〜のメーカーのDAW、〜のプラグインみたいな。
ただ、そういう書いていない部分が自分のオリジナリティが出せそうな部分だったりするのです。
この産地のネギを使う、ってのは、この音色のこういう設定をしたピアノを使う、ってのに似ています。
それは教えてもらうことではなく、自分で味を確かめて、使うかどうか、取り入れるかどうか決めて自分の味、音にするかどうかの話です。
作曲方法を探すジレンマとしては、やり方を探しているにも関わらず、本当に知りたい、あるいは手に入れたい技術は「自分だけの曲が作れるようになりたい」という未来的な可能性なんですね。
やり方自体は確かに書いてるんです、どの本にも (でも自分の曲じゃない)
でも、先駆者がそれを提示することは難しいわけなんですよね。
だってオリジナルを作りたいわけだから、その方法を伝えるのは無理なわけです。
オリジナリティの追求
そろそろ話をまとめると、
作曲というのは料理と似ていて「自分からオリジナリティを追求しないと、一生オリジナルは作れない」というものなんですね。
例えばそれを最近感じたのがこの動画
見ての通り、葉加瀬さんが釣りよかでしょう。のメンバーにペペロンチーノを作ってる動画です。
私は自分で一からペペロンチーノ作ったことなかったんですよ。
ペペロンチーノの素を使って作ったことは2回くらいありましたが・・・でもこれを見て急に「今すぐ作ろう」っつって、スーパーに走って単品で揃えたらクッソ高い材料をバラで買うわけです。
まぁ頑張って元を取る為に見事全部使い切るのですが。
で、そんな話はどうでもいいんだけど
なるほど、この動画の通りに作れば本当に美味しいペペロンチーノが作れたわけです。
そして私は、2回目からは何も見ずにもうこの通りなら作れるわけです。
しかし、この通りにしか作れません。
多分、料理を追求しない人なら、ここまでで十分なんですよ。
再現して美味しく食べれました終わり、ちゃんちゃん、なんです。
知識を得てからが勝負
「ルールは分かったんバリリ〜勝負バリリ〜」
オリジナリティ溢れるペペロンチーノを作りたい場合は、この作り方をベースに色々と試行錯誤する必要があります。
でなければ、このペペロンチーノは葉加瀬太郎さんのペペロンチーノだからです。
まぁそんなのは無限なので誰が考えたとか、葉加瀬さんが最初に考えたわけでもないって話になってくるのですが、作曲も同じ。
人に使ってもらう為とか、「この曲作ったの俺です」っていう為には、葉加瀬さんと同じペペロンチーノじゃダメなわけです。
塩でもにんにくの切り方でも、オリーブオイルの種類でもなんでもいいから、何か違う要素を入れないといけません。
それを自分で考えたりするのが無理だな、とか興味がないなと思えば、おそらく作曲は向いていないかもしれません。
それかコピーして同じものが作れれば満足、そのコピーした料理を自分か身内と美味しく共有、食べれればそれでいい。
そういうことなんだと思います。
何もないところから料理も曲も作れません。
作れるとは思うけど、
レシピやベースとなる知識が何もなければ、食えたもんじゃないものができたり、聴くに耐えれない音楽を作ってしまうでしょう。
使えない道具
「まぁーま、まぁーま、バブゥ〜(使い方分かんねー)」
例えばですよ (例えばっかやな)
醤油の味を知らなければ、醤油があっても使えないわけです。味知らないから。
これは、道具をいくつも持ってるけど熟練度が0だから使えない状態、ってことです。
なぜなら知識がないから。じゃあ味見しようぜ。
剣、槍、斧、格闘、まぁ色々戦い方があるかと思いますが、色々な武器を手に入れても使ったことないと装備できてないのと一緒。
色々な音色持ってても、それを使って曲を作り切ったり、どう使えば活かせるか、ってことを知らないから持ってるけど、使えないわけです。
持ってるけど使えない、そう、PCに眠ってる音源やプラグインたち。
話を戻すと、
なんでもある程度は、自分で色々と試行錯誤すれば、だんだんそれがどういうものか分かってくるし、扱いがマシになってきます。
しかし、前提としてベースとなる知識をコピーで得ていれば、その知識を自分で応用しやすい、と言えます。
先ほど書いた、簡単なメロディ、コード、リズム、みたいなつまらない曲例を、この音でとりあえず作れみたいなのを、本か何かで勉強しますよね。
それをまずやって、「クソつまらんなこの曲、こうしてやれ」って自分でアレンジするんです。
音色を変えたり、メロディを変えたり、リズムテンポを変えたり。
それは、レシピを見ながら作った料理がイマイチで自分流にアレンジするのと全く同じ話だと思います。
終わりに
私はペペロンチーノを動画の通りに作っても、それ以上色々試してみようとは思わなかったのです。
つまり、それである程度美味しかったんだからOKなんですね。
ただ、一応は知識を得たわけです。
使った材料はこういう味がする、こうやって調理するとこうなる、っていうベースの知識
これは何かに応用できるわけです。
例えばペペロンチーノ作り方のベース知識は得たわけなので、ソーセージぺペロンチーノとか、ほうれん草とベーコンのペペロンみたいなことが出来るようになる。
それは作曲で言ったら、基本的なジャンルの曲に、何かの音色を足してバリエーションを広げる技術と同じです。
なんでも自分でそれ以上のものを作りたい人は、そのコピーした知識を応用して自分だけの味を追求するでしょう。
作曲は「自分で自分が表現したいものを追求することができる人」が続けれるし、向いているんじゃないかなと思います。
何でもいいから、オリジナル曲を作れている人や作った人はそういうことが出来る人だと思います。
そこからは自分がらどれだけ追求したいか、表現したいか、になってくるんでしょうね。