ゲーム音楽の巣

フリー音楽素材サイト「音の園」の管理者及び作曲者。このブログではキーボーディスト、ゲームミュージックの作曲を中心に音楽雑記を書いています。健康第一。

【鬼武者】の作曲者『佐村河内守』と、ゴーストライター『新垣隆』 の音楽

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佐村河内守」という人物をご存知でしょうか?

ひと昔前にゴーストライター騒動で話題になり、聴覚障害を持ちながら作曲家を名乗っていたことが全て嘘であったことが発覚した事件です。

当時はかなり話題になりました。

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詳しくはメディアの情報通りです。

佐村河内守 - Wikipedia

佐村河内氏からは色んな意味で?(笑) 影響を受けましたので、今回は彼に興味を持った経緯や音楽に対する価値観の再考について少し触れてみたいと思います。

目次

興味を持った経緯

私は彼の作った曲 (作ったとされていた) がとても好きで、いくつかのCDを所持するほどです。最初に彼に興味を持った作品は、当時カプコンから発売された PS2 用のゲームソフト「鬼武者」でした。

鬼武者自体をプレイしたのはリアルタイムではなく、ずいぶん後になってからなのですが、ある日何か PS2 のソフトでもやりたいな〜と久々にゲームショップのワゴンを漁っていたところ鬼武者を手に取り、そういえば当時話題になったけどやらなかったな〜というわけで100円だったので購入。

懐かしみながらプレイするも、この鬼武者の音楽が素晴らしくて勝手に耳が反応します。大河ドラマのような壮大な和風調といった感じで、和楽器特有の曲調ばかりではなく、西洋のオーケストラによる旋律を取り入れてダイナミックで壮大に表現されています。

また、鬼武者の主人公の「左馬介」と相棒である「楓 (かえで)」 のテーマ、「左馬介調」「楓調」と題される曲のメロディはとても聴きやすく、その叙情的な音楽は鬼武者のストーリーや舞台を完璧に表現しきっており、大変ドラマティックで魅力的なものでした。

これは是非サウンドトラックが欲しい、と思いアマゾンで購入しようと思ったところ、すでに廃盤になっておりプレミア化していました。廃盤によるプレミア化はよくあることですが、それにしても何で30000円以上 (当時) もするのか? と不思議でした。

相当玉数が少ないのかな〜くらいに思いながらレビューに目を向けてみると、一瞬目を疑います。そこには作曲者の佐村河内氏が「全ろうの作曲者」と書かれていました。

耳が聴こえない状態で、どうやったらこのレベルの曲が生まれるのか

私は普通に音楽だけ聴いても感銘を受けたのに、聴こえない状態で作曲されたと知ると、彼への興味は最高潮となりました。どうしても欲しく、アマゾンのマーケットプレイスは諦めヤフオクを漁っていたところ何とか状態の良いものを見つけ、1万近く出してサントラを落札します。

それに加えて佐村河内守という人物にも非常に興味を持ち、彼の自伝「交響曲第一番」という本も買ってしまいます。

後にこの自伝に書いてあることは全て嘘であったと判明するのですが、真の面白さは1回目は真実として読み、2回目は嘘だと分かってからもう一度読むことです。私は騙されたので2度楽しめました (笑) 

今から読む人は嘘だと分かってから読むことになるので面白さは半減ですね。

鬼武者の音楽

アマゾンのレビューを見ると殆どのレビュアーが想像通り大絶賛の嵐でした。音楽自体でも素晴らしい評価でしたが、やはり耳が聴こえない事がさらに拍車をかけ賞賛されていたと思います。

この時すでに鬼武者2、3も出ていたのですが、続作品の作曲者は彼ではありません。2と3の音楽も評価は高いものでしたが、初代については別格のような扱いがされておりました。

その理由は、鬼武者のテーマ曲で、全3楽章から成る「交響組曲 ライジング・サン」という人間国宝も含む和楽器奏者53名、オーケストラ150名の総勢203名による大規模なレコーディングにより収録された音楽でした。

そのテーマ曲である「ライジング・サン」の中からテーマとなるメロディを選出し、サウンドトラック用に40曲近くの曲が生み出されます。

その時、この大規模なレコーディングでオーケストラの指揮をしていたのが、鬼武者の真の作曲者である「新垣隆」氏だったのです。

新垣氏はサウンドトラックのブックレットに、佐村河内氏の書いたとされる楽曲の解説も音楽的視点で詳細に書いており、私はこの段階では当然に佐村河内氏が曲を書いたと信じていて、指揮者の新垣氏は、指揮をする上で彼の書いた曲を解析したのだと思っていました。

それらの曲解説は、今見ると目も当てられないような新垣氏の自分の曲への自画自賛な内容になっているのですが、曲が書けない佐村河内氏への皮肉を込めたようにも見えます。天才だ天才だと、祭り上げるような内容ですが、実際には作曲者本人が解説していたのですから驚きです (笑)

ゴーストライターが発覚

ゴーストライター騒動が明るみになった時の驚きは、この騒動で彼を初めて知った人の比ではなかったと自負しています。驚愕というか、人生でこんな衝撃的なことはそうはないレベルの出来事でした。これはのちに紹介する新垣氏の書いた自伝でも書いてありますが、その通りだと思います。

ニュースでゴーストライターが新垣氏と知った時、

え、この人確か・・・鬼武者のサントラの指揮やってた人じゃん・・・(驚)

ポロリと口から自然に出た言葉でした、ビビりました。ブックレットの解説から辿って伏線が一気に繋がりましたから。

感動して、自伝を読んで涙まで流して、すごいすごいと信じ込んでいましたからね。ミステリー小説のどんでん返しのような感覚でした。

周りの人はこれを機に彼らを知ったので「ありえんよね〜」くらいの話題性でしたが、鬼武者のサントラ時代から知った身としてはそんなレベルの驚きようではありませんでした。何よりも、彼が作ったとされていた音楽が好きだったのが一番の理由だと思います。

鳥肌が立つとはこのことです。

その後も、色々な事が言われていますが、本人たちが言っていることもどこまで真実かは不明で、もはやあまり曲と関係無くなっている気もします。

自分の感情

多くの人は彼らの音楽とどのような出会い方をしたのかによって思う部分は様々だと思います。私は驚きはしましたが、裏切られたとか、そう言った感情は不思議と湧きませんでした。 むしろゴーストライターが新垣氏だったことで全て納得してしまったのです。

もし彼でなかったら、違ったのかもしれません。それほど鬼武者での指揮やブックレットの「伏線」は強かったのでしょう。実際に作ったのは新垣氏だったのですが、全て繋がっていてむしろ清々しいくらいでした。

しかし、その後も佐村河内氏はある曲の発表を目指していました。

それが 「交響曲第1番 HIROSHIMA」です (実際には「現代典礼」と呼ばれる新垣氏に書かせた楽曲でした)

この頃より佐村河内氏はメディアなどにもかなり露出し始め、演技をしながら耳が聴こえないことをアピールし、陽を浴びると体調が悪くなるという理由からサングラスを必ずかけていました。

頭の中では常にボイラー室の中にいるような轟音が鳴り響いている状態で、その轟音、不協和音の中で絶対音感を頼りに頭の中からスコアを起こし、作曲していたというのですから・・・真実であったのなら、もはや人の想像の域を逸しています。

また、私にとっては鬼武者以降は常に作品を発表してないことが作曲の生産性においても、上記のようにそう簡単には曲が書けない状態といったイメージをより強くすることになります。

量より質、本当に書きたいものだけ書く、というアーティスト型の作曲家だと思いこみ、それも相まって「全ろう」というのも本当なのだろうなと信じていました。

世間からは長髪でミステリアスで耳が聴こえない、常に耳の中で轟音が鳴る、絶対音感の作曲家というエピソードから「現代のベートーヴェン」とまで言われていました。

全てが真実であったならば、その通称は彼を形容する言葉としては最もたるものだと思います。

交響曲第1番 HIROSHIMA

広島の原爆をテーマにした (当時の発表では) 3楽章から成るオーケストラ曲で、テーマや曲そのものの長さ、クオリティ自体にも注目されましたが、やはり一般的には聴覚が全くない状態で絶対音感だけを頼りに何年もかけて作られた、ということが曲の評価に付加価値を与えていたと思います。

詳しくはこちら。

交響曲第1番 (佐村河内守) - Wikipedia

これは先ほど少し触れた2007年に出版された彼の自伝「交響曲第一番」と同じ名前の曲であり、佐村河内氏が2003年頃から構想を練っていたとされています。自伝にもその苦悩は書かれており、私もいつか完成する日を楽しみにしていました。

そしてついに完成してCDを手に取りましたが、鬼武者とは違い、広島をテーマにしたというエピソード (当時の) だと知ると、気軽には聴けませんでした。

私は自伝に「一音一音、闇の中で光を探すかのごとく音を探す」というような事が書いてあったのを思い出し、そんな苦労の中で生み出されたものならこちらも全力で聴かねば、と部屋を暗くし、ヘッドフォンで集中して聴きます。

冒頭から広島の原爆の悲痛さをを自分なりに思い浮かべ、音楽から何かを感じ取ろうとしてました。鬼武者と違い、この曲は映像も何もなく本当に「」だけです。

初見は、曲が出来るまでのエピソード、苦悩の中で生み出された難曲、というようなイメージを付加価値としていたのでしょう。気軽には聴けないけど凄い曲だなぁ、と感動していました。

特にラスト付近の希望を感じさせる旋律は、最後までキャッチーなメロディが殆ど出てこないことも相まって感動的な構成となっています。

しかし騒動が発覚、新垣氏が作ったものだと知ると、もはやコンセプトは嘘、本人が作っていない、全ろうの状態で作っていない、ということが曲の魅力を半減させたのは言うまでもありません。

しかし半減とは言っても、それは前代未聞の奇跡の音楽みたいなイメージからの半減なので、それらを差し引いても十分魅力的な曲であることは間違いありませんでした。ただ最初は、自分が真の天才とか、神がかり的なエピソード、ストーリーだと信じたかったのでしょう。

私はそう言った「付加価値」で勝手に凄い曲だと思い込みたかったのかもしれません。

自分の音楽に対する価値観が一瞬わからなくなった時でした。

しかし鬼武者は上記の HIROSHIMA とは違い、映像、ゲームの世界観、ゲーム体験から入ったのでやはり自分の中で別格なのです。今でも良い曲でしょっちゅう車で聴いていますし、アカデミックな教育を受けた新垣氏の作った曲として理解しながら聴いても自分の中での評価は変わっていません。

良いものは良い、ということなのか。そう思っています。

新垣隆という人物

佐村河内氏に興味を持つ以上に、真の作曲者であった彼のことに興味を持つのは私の中で当然でした。自伝「音楽という<真実>」を読みましたが、想像以上に面白い内容でした。

前半は新垣氏の幼少からのエピソードや音楽体験で始まる本書ですが、ゴーストライターの時期の話に突入すると話は一気に面白くなります。また、新垣氏は自分の尊敬する師や作曲家のことを何度も繰り返し語っており、本当に音楽が好きなんだなぁと思いました。

そして鬼武者のレコーディングのエピソードともなると、本当に読みながら「へぇ」と息つくような内容ばかりです。新垣氏は曲さえ書ければゴーストライターでも良かったと書いており、書いてある内容や思考からもそれは本当なのだなと思います。

何より彼は、ゲーム音楽で200人以上のオーケストラを従えながら指揮を振る、という前代未聞な体験は佐村河内氏がいなければありえなかった話で、それは本当に自分の音楽人生の中でも彼には感謝していると言っています。

佐村河内氏の作曲できないがゆえの、向こう見ずな無茶苦茶なイメージだけでプロデューサーにハッタリをかまし、面白そうなプロジェクトとして提案し、そして仕事を取ってくるという、自分がそれに見合うような作曲ができるかどうかは新垣氏の曲で納得させる、といった本当に彼でしかありえないようなやり方です。

もうこの辺は、新垣氏がその時々に何を考えながら行動していたのかなども含め、読んでいて吹きそうになるくらい面白いので、もし興味があっても読むのを躊躇している方は読んでほしいです。

また面白くも新垣氏は、鬼武者のプロジェクト時に「実際には200人も必要ないし、100人で十分です。200人という発想自体がすでに素人だと思います」と書いています。

ですが、200人という、とにかく大きな数字、インパクトが聴く人の興味を引くというのは事実で、そう言った大衆的な発想を持っている佐村河内氏と、実力がある新垣氏のタッグは成り立っていたのです。

唯一、新垣氏が愚痴っていたのが、曲が書けない佐村河内氏が全くどうでも良いような部分の指摘ばかりするというもの。これによって曲の良かった部分がかなり劣化したのは否めない、と新垣氏は語っており、「あんたが作曲したことにするのは構わないから、頼むから曲だけは自由に書かせてくれ」と嘆いています (笑)

愚痴りながらも、すごい曲を書き、さらにはゴーストで十分、という謙虚さです。その代わり曲だけは好きに書かせて欲しいという。本当に面白い人だなぁ、と同時に、やはり本当に音楽が好きで実力者だと思いました。

その後のお話

ここまで書いた通り、新垣氏だけでは鬼武者の音楽は存在しなかったし、その他の曲も同様です。またご存知の通り、彼の書いたとされた曲で被害を被った人も実際には多く存在しており、笑い話だけで収まるものではありません。特にフィギュアスケートの高橋大輔選手、ヴァイオリニスト大久保美玖さんのエピソードは顕著です。それらの経緯も新垣氏の自伝に書いてありますので、詳しく知りたい方は是非。

私はゲーム音楽が好きで、自分の体験である鬼武者の音楽が今回の記事、佐村河内氏、新垣氏への音楽の切り口となっています。

やっぱりゲーム音楽に200人以上のオーケストラが起用されたという事実は嬉しかったですね。200人が必要かどうかはさておき、やはり前代未聞であることは間違いありません。

HIROSHIMA のコンセプトや販売戦略的には鬼武者の音楽を聴いたユーザーが対象になるという設定だったようです。HIROSHIMA はクラシック部門では18万枚の売り上げですから、異例だと言えます。

事実、鬼武者から知った身としては、彼の自伝や次作がリリースされるたびに、時系列的にそういった流れになるようになっていたと思います。ゲーム音楽で総勢200人以上のオーケストラを起用する、という話題性から、HIROSHIMA では全ろうでCD一枚分の大曲の作曲に挑戦する、という流れです。

鬼武者で感動したなら彼の自伝を読む流れになり、そこに書いてあることが真実であったなら興味が湧かないわけがありません。

ライジング・サンのように20分弱ではなく、70分以上でなければ意味がない、として書かれた HIROSHIMA ですが、まさに鬼武者のテーマ音楽のレコーディングへの参加者が100人では意味がない、200人であることに価値がある、そんな発想と同じです。

新垣氏からすれば HIROSHIMA は、技術を用いて曲を70分以上に延ばす意味は全くないと言っています。佐村河内氏の販売戦略、新垣氏の音楽的な視点、それぞれ色々あったんだなと思いました。

また、佐村河内氏は鬼武者の前に「バイオハザード」のディレクターズカット版のオーケストラ曲 (当然作曲は新垣氏) で参加した繋がりで鬼武者の作曲に至りました。

この曲も色々言われていますが、アカデミックな音楽理論を学んできた新垣氏ならではの作風で、これを機にカプコンと縁を持ち、のちにバイオハザードのシステムをベースにして作られた、和風バイオハザードと称される鬼武者の音楽へ着手することになります。

新垣氏の今後

新垣氏はメディアにも積極的に露出しながら、色々な作品に着手していますね。ピアニストとしての腕前も相当なものなのですが、自伝を読むと本当に色々な音楽が好きという印象を持ちました。YMO はもちろん、環境音楽のジョン・ケージ、クラシックのオーケストラはもちろん、ジャズやプログレもそうです。

それらで培ったものをようやく正々堂々と吐き出せるような状態になったと思います。個人的には、もう一度ゲーム音楽を手掛けて欲しいし、今度は佐村河内氏抜きで思い通りに作曲したものを聴いてみたいですね。実現は難しいとは思いますが・・・。

映画「FAKE」

佐村河内氏は6月に公開される【FAKE】という今回の騒動を映画化した作品に出るようなので、それが気になっています。彼への見方が変わるかもしれないとのことなので、それらも少し期待しています。

映画『FAKE』公式サイト|監督:森達也/出演:佐村河内守

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東京を皮切りに順次公開とのことなので、私が住む愛知の名古屋では6月末の公開予定なので、また見たら感想を書きたいと思います。

見ました書きました。よろしければ。。。

andy-hiroyuki.hatenablog.com

最後に

私が今回書きたかったことは、各エピソードが曲に付加価値をもたらし、それによって曲がよく聞こえる、感動する、ということがあるのか? ということでした。

実際に私は「ある」と思いました。逆に言えば、ない時もあります。それは純粋に曲自体が相当優れてる時かもしれません。

好きな作曲家が書いた曲だから、CDだから買う、というのは誰にでもあると思います。

それらは、何かの映像作品のために書かれた曲であったとしても、それを見たり体験せずに音楽だけ聴いて評価をする場合もよくあることだと思います。

ゲームをやらずにゲーム音楽のCDだけ購入して、勝手に想像しながら聴くという聴き方です。それによって音楽の楽しみ方が半減する可能性もありますが、すべてのゲームをプレイする時間も考えると難しいのも事実。

またゲーム自体は出来が悪く音楽だけは良い、という場合もあります。それはドラマや映画でもそうですが。

そのように、音楽の楽しみ方や音楽に対するイメージの持ち方は個人の自由であり、勝手な都合で解釈して良いと思っています。それで音楽がより楽しめるのであれば、そう言った聴き方ができる人は得かもしれません。

私のように、何でもかんでもゲーム音楽のようなイメージを持って聴く、となれば、わけのわからない曲でもある程度までは無理やり楽しむことが可能だったりします。

この二人が身を持ってやってくれたことは、私にとって音楽の価値感を再考させるキッカケとなったのである意味感謝しています。騙されたとは思いましたが、裏切られたとかそういう感情はないので、単純に「やられたなぁ」と言った感想です。なんとも言葉で表現し辛いのですが。

佐村河内氏がイメージを作り出し、新垣氏がそれを音楽で具現化する。

時間が経てば彼らの作り出した音楽への感想もまた何か変わるかもしれません・・・。