ゲーム音楽の巣

フリー音楽素材サイト「音の園」の管理者及び作曲者。このブログではキーボーディスト、ゲームミュージックの作曲を中心に音楽雑記を書いています。健康第一。

【雑談】ピアノの練習、お稽古、習い事が嫌になる理由を考えてみる

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前回、雑談がてらクラシックピアノを習っていた時のことを思い出してました。

andy-hiroyuki.hatenablog.com

思っていたことをダラダラ書いてましたが、その中で「練習が嫌いだった」と言うことを書いてたのですが、この部分を少し掘り下げて見たいと思います。

と言うのも、私は「練習が嫌い、嫌になる」と言うテーマは実は普遍的なものだと思っています。今考えるとその理由は色々あるんですよね。

ですが、子供の頃というのは色々と制限があり、自分で考えれることや行動範囲にも限界があります。

発言一つに関しても、言える人、言えない人、など。

ちょっと書き出してみようと思います。

目次

嫌になるパターン 

自分の経験、想像できることからいくつかあげて見ます。

  • 自分の意思でやっていない (強制)
  • 弾きたい曲ではない (強制)
  • 練習していないと怒られる (恐怖)
  • 辞めたいのに辞めたいと言えない (葛藤)
  • 弾く曲数が多すぎる (キャパオーバー)
  • 喜びを感じられる瞬間が無い、または少ない (やりがい)

軽くあげましたけど色々ありますね。

自分の意思でやってない

親が習わせてくれた、と言えばありがたいことで聞こえはいいのですが、物心つく前にお稽古として習っていて、結構続いたと。

で、自分の意思が出始め辞めたくなってきたが、せっかくここまで続けたのだから辞めるな、やれ、という。

もちろん私のように、自分からやりたい、と言ってやらせてもらって辞めたくなったから辞めたい、というのは自分勝手かつ親にとっても痛手なわけで・・・高いレッスン料を払って環境を作ってくれたわけですから。

ただ、小学生まではいいものの、中学生から部活やら勉強やら色々大変です。

私はそこで続けるかどうか迷ってましたね、結果的に一年辞めて色々知ってまた取り組みたいと思って戻りましたが。

その時は全く指が動かない状態で大変だったのを覚えています。

今辞めるのはもったいない、とりあえずもう少し続けなさい、こういう続け方はかなりストレスになります。

そもそも弾きたい曲では無い

これは実はかなり大きな問題なんですけどね。

ただどうしても物事には基礎がありますので、自由に弾いて弾けるようになるほど簡単ではありません。音を鳴らすのと弾ける、のはやはり違うと思います。

私の経験で言えば、バイエルからスタートしていた時は楽しかったのです。

ソナチネ、ソナタあたりから雲行きが怪しくなってきたのですが、ソナタにしてもきちんとした作品な訳です。しかし色々と時間を犠牲にして練習してまで弾きたい、と思える曲ではありません。

当然初見で弾けるほど甘くなく、普通に難しいわけです。

で、問題なのが何を持ってして弾けてるのか、という価値観で、弾けてるかどうかの判断は先生次第なんです。

こうしろああしろ、こうやって弾くのよここは、楽譜にそう記号が書いてあるでしょ、という。弾きたく無い上に、自由に弾けないのですから、自分で弾けてると思ってもやりがいは薄くなります。

それはもう指がある程度動くので、このレベルまで来るとそこそこの歌謡曲程度ならもう自分で楽譜見て弾けるわけです。

しかしなぜかまだやっている、、、何のために? となるわけです。

技術の維持、さらに難しい曲集を弾けるようになるため、今までの流れでやっている。

物心がついてこればこの辺で葛藤が始まります。

練習してないと怒られる

怒る先生もいれば怒らない先生もいます。

どのようにピアノを始めたのかにもよりますが、怒る、というのは目標を定めていてそれに向かってレッスンに来ているのに練習をしてこない、私はこれが怒る条件だと思います。

ですが、やはりレッスンは子供の頃〜成長していき先生との付き合いも長くなると関係も曖昧になります。

要は「カウンセリング」が出来てないわけです。

本当は自分がどうしていきたいか、何を弾きたいのか、どう続けていきたいのか、そう言ったことをきちんと相談して楽曲に取り組むべきなのですが、やはり流れでそのままクラシックの曲集をやり続けることになることが多いです。

私がよく言われてたのは、ゲーム音楽などの楽譜を弾くと、クラシックの曲が弾けなくなるとか言われてましたね。

指使いが全く違うのと、簡単な楽譜に慣れてしまう、という。

今思えば、ジャンルによって演奏意識をコントロールできない子供に言いたいことは分かるのですが、ゲームの音楽もバイエルレベルの楽譜しかなかったので、認められてないのだな、と。

自分でアレンジする能力もこの時はありませんでしたしね。

まぁ単純に先生が曲を知らないことも大きいのですが、そこが最初悔しかったのを覚えています。

しかし懲りずに発表会で FF8 の主題歌、アイズオンミーを上級者向けのピアノコレクションズの難易度で弾きたいと一心に伝えたところ、クラシックの曲プラス好きな曲をやってもいい、という条件でやってましたね。

こちらの記事でも書いていますが、私にとって、ゲーム音楽の上級者向けの楽譜が登場したことは本当に嬉しかったのです。

andy-hiroyuki.hatenablog.com

そして何度も弾いていると先生も曲を覚えていくので、その曲を認めてくれたのを覚えています。

辞めたいのに辞めたいと言えない

私は言いましたね、中学の時です。

ギターやベース、歌謡曲にハマったからですね。

何回も止められました、もったいないから続けろと。

辞める時は少し喧嘩みたいな形になってしまいましたが、どうしてもやりたくなかったので辞めたいと言って辞めました。

部活でテニスを初めてバンドもやりたくて、新しい楽器をスタートしたかったからです。ピアノはもうある程度弾けるから、わざわざレッスンでやりたく無い曲をやるまでも無い、というわけです。

で、前回にも書きましたが、歌謡曲、ギターで「コード」を知って、色々クラシックの可能性や良さも分かり、一年後に自分の意思でもう一度やりたいと思い、再度教えて欲しいと言いにいきます。

めっちゃ言い辛かったのを覚えていますw

部活や他の楽器など、色々やりたいからもちろんそれは考慮してくれたので続けれましたね。そして高校くらいでショパンが弾けるようになりたいから教えて欲しい、と言います。

すると先生が、私はショパンは教えれないから音大の先生を紹介してあげるからその人に習いなさい、とその先生の友人を紹介してもらいます。

で、その先生がこれまためちゃくちゃ厳しい人で・・・まぁ厳しいわな普通。

専門学校に入るまで続けて入ってから辞めましたが、その時に辞めるというのもかなり言い辛かったのを覚えています。

とにかく辞める、というのは何にしてもかなりのパワーを消費するということですね。

長く続けていたものなら余計に。

弾く曲が多すぎる

多いよ、4冊とか。

しかし4冊もやるまでになった自分、みたいな部分もあったので、そこまで続けた誇りややりがいみたいなものはどこかありました。

ただ辛い。

何でもそうですが、やりたくないことをやらなければ、やりたいこともできない、というのは社会に出ても同じこと。普遍的なテーマです。

何かしら役に立っているんですけどね。まぁそれがその時はわからんのです。

喜びを感じられる瞬間が無い、少ない

そんな今みたいに動画投稿サイトも無い、ネットも未発達。

せいぜい発表会で身内に弾かせるくらいです。

学校の音楽室などで弾いたり、中学の合唱の伴奏をやるとか、そういうところでしか演奏を披露する場所がないのです。

結局どれだけ練習しても、親か先生に聴かせるくらいなんですよね。

やはりそれではやりがいが薄くなります。何年もやっていれば余計ですよね。。

自分が弾きたかった曲が弾けた! そういう時が一番感動したり、もっとうまく弾けるようになりたい、そういうモチベーションを得れるのです。

ピアノ弾きというのは、本当にそういう自分の演奏が大好きで、部屋でひたすら孤独に練習するんじゃ無いかな。

しかし自分の弾きたい曲さえ無い、もしくは出来ない、悪い意味で自分がピアノを弾けるということ自体にも魅力や誇りを感じてない、アンチナルシシズム? なのであれば、やりがいを見失って辞めたくなるかもしれません。。。

最後に

お稽古からスタートした習い事。

ある程度のレベルまでいくと色々と問題が発生します。

環境や年齢による人としての自分の成長、価値観、優先順位の変化。

その中でも続ける、というのはそれだけでも賞賛に値しますが、私は一度辞めてからまたやりたいと思ったのは、成長の速度的に見ても全く違っていたのでよかったと思っています。

辞めたい、やりたい、何にしても「意思表示」は大事なことですね。